19. 8月 2026

私たちの力では深い淵(ふち)から抜け出せません。しかし、神様は私たちに御手を差し伸べてくださいます。「主のもとに慈しみがあり/そのもとに豊かな贖いがある」からです(詩130: 7一部)。

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「前をよく見て歩いていなかった一人の若者がいました。彼は、深さ数メートルもある貯水槽に落ちてしまいました。」ヘルゲ・ムチュラー主使徒は、2026年7月5日にコンゴ民主共和国→のカナンガで行われた礼拝でこの話を取り上げました。その若者は中から出ようとしましたが、滑って出られません。そこで彼は助けを求めて叫びました。〔主使徒による説教の要約〕


深い淵からの叫び


詩編の著者もこれとほぼ同じ経験をしました。どこか深い穴の中から出ようとしても出られません。しかし、正しいことを一つだけしました。叫んだのです。——「主よ、深い淵の底からあなたに叫びます」(詩130: 1)。


この詩編の著者にとって問題なのは、自分は罪人であり、いくら努力しても自分の力ではこの穴から抜け出せないことを、痛いほど理解せざるを得ない状況だったということです。しかしここで、今回の聖句が登場します。「主のもとに慈しみがあり/そのもとに豊かな贖いがある。」


どん底にいても


今回の聖句が私たちとどう関係があるのでしょうか。とても簡単です。私自身も、そして皆さん全員も罪人で、深い穴の中にいるということです。


第一の戒めを一度確認するだけで十分です。「私はあなたの主なる神である。私のほかに神があってはならない」となっていますね。すると今度は自らにこう問いかける必要があります。「ここ数週間、数ヶ月の間、本当に神様を絶対的な最優先にしていただろうか。」もししていなければ、私たちも罪人ということになります。


叫ぶ、ただし正しい方法で


紛れもない事実として、私たちは深い穴の中にいて、そこから自分の力で出ることができません。しかし、井の中の蛙のようになっていけません。罪と妥協してはならず、他人のせいにして被害者意識を持ってはいけません。


全能の主に向かって叫べばよいのです。主なる神様は耳を傾けてくださいます。皆さんのことをしっかり心にかけてくださいます。だからといって、ただ助けを求めて叫ぶだけで終わってはいけません。隠れるのではなく、イエス・キリストの御前に出て、心を開いて「私は罪人です。どうかお赦しください」と伝えましょう。


そうすれば——そうすることによってはじめて——皆さんは愛に満ち、恵みに満ち、赦しに満ちた神様の御前に立つことになるのです。


神は耳を傾け、助けに来られる


陰府(よみ)の世界には、深い穴――牢獄――に留め置かれ、自分ではどうすることもできない魂がたくさんいます。神様は、こうした魂の声にも耳を傾けてくださいます。こうした多くの魂のことも神様は気にかけてくださいます。彼らも、神様にとって大切な存在なのです。


この神様が罰する神だなんて、誰が皆さんに言ったんですか。それは真実ではありません。憐れみと赦しの神です。その御心は実に広く、かつてこの世に生きたすべての魂を受け入れてくださるのです。


変わることはできます。神様の御腕は開かれています。そして私たちは、陰府にいる兄弟姉妹と共に待つことができます。詩編130編6節がまさに言い表しているように、夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにも増して、私たちの主を待ち望むのです。

Andreas Rother(翻訳:日本新使徒教会)

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