停戦ではなく平和。利害を企むのではなく誠を尽くす。誰もが善きものを追求します。どうすればそれが見つかるのでしょうか。ヘルゲ・ムチュラー主使徒による礼拝説教から、いくつかの洞察をご紹介します。
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ハンガリーは上質なワインで有名です。時折、ぶどう園の端に放置されたぶどうの木が自生し、独自の実をつけることがあります。しかし、このぶどうの実は非常に小さく、とても酸っぱいです。
2026年9月12日、ハンガリーのブダペストで行わた礼拝では、ヨハネによる福音書15章3~4節に書かれているイエス様の御言葉が基調聖句として引用されました。「私が語った言葉によって、あなたがたはすでに清くなっている。私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。」〔以下、主使徒による説教の要約〕
新しいぶどうの木を必要としている
実は、誰もがぶどうの木からぶどうの木へと渡り歩いています。皆、平和、喜び、誠実を求めています。しかし現実は全く違うように思えることがよくあります。せいぜい24時間しか続かないような停戦。あるいは、「あなたの味方をしますが、それはあなたが私の役に立っている間だけです」といった具合です。
二千年前、ぶどうの木はイスラエルの国家的象徴でした。神殿の門の一つには黄金のぶどうの木が掲げられ、硬貨にもぶどうの実が描かれていました。人々は自分たちを神によって植えられた存在と捉えていました。しかし、預言者イザヤが指摘したように、彼らは悪い実しか結びませんでした。そのような時に、イエス様がおいでになったのです。
扉はすでに開かれている
「私はまことのぶどうの木」と、イエス様は最後の晩餐で弟子たちに言われました。大変な状況にも触れられました。神様は素晴らしいことをなさっておられます。ご自分がぶどうの木に取って代わろうということです。罪のないキリストが、罪深い人類の代わりとなられたのです。
そしてキリストは、人々がご自身と結ばれる機会を提供されています。キリストに繋がる枝となすれば、自然と良い実を結ぶようになります。なんと慰めに満ち、心が軽やかになるでしょう。
成長するために取り除かなければならないもの
「あなたがたはすでに清くなっている」と、イエス様は最後の晩餐で弟子たちに言われました。当時、過越祭の直前には、神殿に入る許可を得るために人々は清めの儀式を行っていました。十一人の使徒たちは、そうした儀式を何一つ行っていませんでした。それにもかかわらず、イエス様は彼らに「あなたがたは清くなっている」と宣言されたのです。
この約束はこんにちも変わっていません。神様の心は皆さんに開かれています。皆さんは許可をいただいています。扉は皆さんに向かって開かれているのです。これは、個人の状態や環境に関係なく当てはまります。大きな罪を犯したとしても、深い疑問を抱いていたとしても、深く悲しんでいたとしても、神様は扉を開いていてくださるのです。
神様は両腕を広げて立っておられます。神様のところに行く許可を得ようと、何十万もの儀式を行ったり、自分を証明したりする必要はありません。
留まること、そして留まらせていただくこと
「清くなっている」という言葉には、もう一つの意味もあります。イエス様は神様をぶどう農夫として描いており、実を結ばない無駄な枝を取り除き、実を結ぶ枝はさらに多くの実を結ぶように剪定されます。これは、水と聖霊による再生を指してしています。
なぜこうしたことを行うのでしょうか。それは、聖霊の結ぶ実を結ぶことができるようにするためです。
- 真の平和。皆さんが神の子であるのは、単なる一時的な停戦ではなく、真の平和を世界にもたらすためです。
- 真の誠実。皆さんが神の子であるのは、利害が一致する間だけ人といるのではなく、真の誠実をこの世にもたらすためです。
- 真の優しさ。皆さんが神の子であり、剪定されたぶどうの木であるのは、人々の生活に真の優しさをもたらすためです。
そして、これらを達成するために人は何をしなければならないのでしょうか。「私につながっていなさい。」これだけです。しかしイエス様は、私たちがそれすら達成できないことをよくご存じです。だからこそ、こう言い加えておられます。「私もあなたがたにつながっている。」これは、「どのようなことがあっても、私はあなたがたと共に留まる」という意味です。
そしてこの約束は未来へと続いています。キリストは、再びおいでになる際に、ご自分の花嫁を清く受け入れられた者としてお迎えになります。その後平和王国において、人々はキリストと結ばれ、ついには、この世全体がずっと待ち望んでいた実、すなわち真の平和を結ぶことになるのです。
Andreas Rother(翻訳:日本新使徒教会)