4 贖いを必要としている人類

237 理性にはどのような役割がありますか。

 

理性によって、神に適(かな)うふるまいができます。自分の行為について、神や隣人に説明できるならば、理性が示されたことになります。福音を理解したり、信仰を公(おおやけ)に広めたりする時にも、理性が必要です。

238 人の理性には制約がありますか。


はい。人の理性には制約があるため、神の無限性を完全に理解することは不可能です。神の本質や行為は、人のあらゆる理性をはるかに超越します(フィリ4:7参照)。ですから、理性によってすべての物事を判断することは不可能です。

「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 フィリ4: 7

239 信仰とは何ですか。


信仰とは、神を信頼し、神に従順で、神に忠誠を尽くすことであります。信仰によって、神の憐れみと助けに与ることを確信します。このことについて、ヘブライ人への手紙11章1節には次のように書かれています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

240 信仰を持つまで、どのような過程を経(へ)ますか。


信仰の始まりは、いつも神で、御言葉や御業を通じて御自身をお示しになります。信仰は神の賜物です。真の信仰は、選びという神の恵みに基づいています。


同時に信仰は人の義務です。信じるかどうか、どの程度信じるかは、努力次第です。つまり、信じたいという気持ちにならなければいけません。それゆえ、信仰を求めて祈る必要があります。

「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 マコ9: 24

241 信徒の務めは何ですか。


人は、神の御言葉を受け入れ、それを信頼し、それに従って行動することが求められています。イエス・キリストはこうお命じになりました。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハ14:1)。イエスは「独(ひと)り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」ことを約束されました(ヨハ3:16)。それに加えて、御自分が言われたことの意味を信じないことによって生じる結果を力説されました。「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」(ヨハ8:24)。

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」 ロマ10: 17

242 信仰によって、何を得ることができますか。


イエス・キリストを信じることは、救いの第一条件です。

  • 神が罪人と和解して下さることを信じなければなりません。
  • 神の子になれることを信じなければなりません(ヨハ1:12参照)。
  • 神と永遠に親しく交われることを信じなくてはなりません。

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」 ヘブ11: 6

243 「救済史」とはどういう意味ですか。


聖書では「救い」という語を「救出」「保護」「贖い」の意味で用いています。「救済史」とは、人々が救いを受けられるようにするための神の働きを意味する、と考えることができます。

244 「救いの御計画」とはどういう意味ですか。


堕罪(だざい)と新しい創造との間に起こる様々な出来事は、神による「救いの御計画」といえます。神の御計画全体を、私たち人類が知ることはできないかもしれませんが、救済史をたどることによって、神が人類を救おうとしておられることがわかります。

245 救済史はどのように展開しますか。


救いの方法や手段は、救済史におけるそれぞれ時代によって様々ですが、首尾一貫していることは、神の救おうとされる御意志です ― これはすべての時代におけるすべての人々に対して有効です。

246 旧約時代における救いの希望とは、具体的に何でしたか。


旧約時代における救いの希望とは、おもに貧困と捕囚(ほしゅう)からの解放でしたが、イスラエルにおける救いの希望は、次第にメシア待望が鮮明になりました。

247 救いの礎(いしずえ)は何ですか。


イエス・キリストは永遠の救いの源です。「そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり…」(ヘブ5:9)。イエスは神と人とを仲介して下さるただ一人のお方です(一テモ2:5参照)。使徒言行録4章12節では、次のように証ししています。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」


イエス・キリストは神によって遣わされた救い主です。罪に勝利してこられた贖い主です。イエスによって、罪がもたらす害悪から救いを見出すことができます。イエスが十字架上で犠牲となられたことによって、罪からの解放 ― そして神から永遠に離れてしまう事態の回避 ― が可能となりました。

「仲介者」: イエス・キリストが「仲介者」であるということは、一つには、神と人とを仲介して下さるお方であるということです。つまり、イエス・キリストが神の御前で人類の代理となる、そして人の前で神の代理となる、という意味です。イエス・キリストは神の御前で、人類の弁護者であり、神の御旨を人類にお知らせになります。もう一つには、イエス・キリストが「仲介者」であるということは、神との交わりを回復させて下さる救いの道だということです。

「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。」 一テモ2: 5-6

248 救いに与(あずか)れるのは誰ですか。


イエス・キリストによる救いは、全人類、生きている者たちにも死んだ者たちにも提供されています。

249 神による救いの御計画の中で、私たちはどの段階にいますか。


キリストの再臨のために花嫁の会衆が集められ、備えを受けている段階にいます。そのために、使徒たちは、神の御言葉を宣べ伝え、サクラメントを施(ほどこ)すことによって、救いを分け与えています。


花嫁の会衆:  問455→, 557→, 561→以降を参照

250 こんにちにおいて、どうすれば救いを得ることができますか。


自分の行いや働きなどによって、救いを獲得することはできません。イエス・キリストを信じ、この世の救いのためにイエス・キリストが提供して下さった、サクラメントと御言葉を活用することによって、救いを得ることができます。


サクラメント: 問472→以降を参照

251 キリストが再臨される時、花嫁の会衆は、どのような形で救いを体験することになりますか。


花嫁の会衆は、キリストが再臨される時から、天の婚宴で神と永遠に親しく交わることになります。

252 救いの御計画はいつ完成しますか。


聖書によれば、救いの御計画は、新しい創造をもって完成します。

253 神の選びは何に基づいていますか。


選びはいつも、神の御旨に基づいています。神のお決めになったことに影響を与えられる人は、誰一人いません。

254 なぜ神は人々をお選びになるのですか。


神が慈悲の御心から集団や個人を召し出されるのは、この集団や個人に対する特定の目的が御心にあるためです。そうすることによって、選ばれた者に責任を持たせるのです。

255 旧約聖書に、選びに関する事例はありますか。


はい。すでに創造の業において、聖なる選びに関する言及があります。神は、御自分がお創りになったもののうち、人を選んで、地上を支配する任務に就かせられました。


旧約における選びの事例は他にも多くあります:

  • 箱舟の建造者としてノアが選ばれました。
  • この世のすべての家系が、祝福を受けることができるように、アブラハム、イサク、ヤコブが選ばれました。
  • エジプトで捕囚(ほしゅう)状態にあるイスラエルの人々を脱出させるために、モーセが選ばれ、彼らを約束の地に導くために、ヨシュアが選ばれました。
  • イスラエルの人々も選ばれた者たちでした。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに…」(申7:6-8参照)。

「神は人間を不滅な者として創造し、/御自分の本性の似姿として造られた。」知2: 23

256 新約における選びの事例はありますか。


イエスは、弟子たちの中から、使徒をお選びになり、全世界にお遣わしになりました。教えを伝え、バプテスマを授ける権限を、使徒に委託されました。こうして、イスラエルの人々だけでなく、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと関係なく、イエスを信じるすべての人たちが、神に選ばれるようになりました。ですから新約の民は、神に選ばれているのです(一ペト2:9参照)。


ペトロは、ペトロの職務という、教会において特別な立場を担(にな)う者として選ばれました。

 

ペトロの職務: 問457→を参照

旧約時代から、イスラエルの人々以外の国民は、「異邦人」とされていました。異邦人は、アブラハムの神ではなく、他の神々に仕えていました。新約の時代になっても、ユダヤ人以外の人は、洗礼を受け入れているか否かに関わらず、異邦人とされていました。

257 自分には神に選ばれる権利がある、と主張できる人はいますか。


いいえ。神の選びは、神による自由な御判断に基づいているので、神に選ばれる権利なるものを有する人は、誰一人おりません。選びは、人の理性で理解することはできません。

258 福音から見た場合、選びとはどういう意味ですか。


福音から見た場合、選びは神の愛の賜物であります。この賜物を受け入れるか拒否するかは、人が自由に決めることができます。


神に選ばれたからといって、人の行動があらかじめ決められてしまうわけではありません。