4 贖いを必要としている人類

259 この選びを受け入れることによって、どのような結果をもたらしますか。


神が人類をお選びになるのは、その人を救うだけでなく、他の人々を救うためでもあります。神がお選びになる場合、常にその選びに付随して、任務や責任も伴います。選びを信仰によって受け入れるということは、救いの創始者であるイエス・キリストに誠実に従うことです。つまり福音に適(かな)う人生を送ることです。そうすることによって神の祝福をひきつけることができます。


選びは未来にも効果をもたらします。つまり、イエス・キリストが平和の御国をお建てになる時、王の血統を引く祭司職は、キリストの救いという良い知らせを宣べ伝えます。この職務に選ばれた者たちは、第一の復活に加わります。

 

救い: 問243→以降を参照/王の血統を引く祭司: 問577→を参照/第一の復活: 問574→, 575→を参照

260 祝福とは何ですか。


祝福とは、神による愛の配慮を具現化したものであり、人の行いなどによって獲得できるものではありません。祝福されるということは、神から良いものをいただくということです。祝福には天来の力のほかに、神が助けたり導いたりして下さる保証があります。祝福の逆は呪(のろ)いです。

261 どうすれば祝福が得られ、どうすればその祝福が開花しますか。


神は、祝福を与える目的で職務を委ねた人を通じて、祝福を与えられます。自分を祝福することはできません。


祝福を信仰によって掴み取るならば、花が咲くように発展します。祝福に永続的な効果があるかどうかは、祝福を受けた人の姿勢やふるまいによります。


祝福は神の賜物であり、常に新しくされます。しかも、祝福を受けた人を越えて、次世代の人々にも祝福が及びます。

262 神の祝福は、被造物にどのように示されますか。


神は被造物を祝福し、すべての生き物に、繁殖の法則を制定されました。そして被造物の支配を人に託し、それに関わる職務を祝福されました。


この神の祝福は、罪の呪いによってその効果が制限されたものの、効果が無くなったわけではありません。大洪水の後、神は新たな祝福をもたらされたのです。この祝福がどういうものなのかは、神の約束が明確に表しています。「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない」(創8:22)。


被造物への祝福については、新約聖書にも書かれています「土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます」(ヘブ6:7)。この祝福によって、全人類が恩恵を受けます。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」 マタ5: 45

263 旧約においては、どのように祝福にあずかっていましたか。


祝福の約束は、神がイスラエルと交わされた契約の一部です。旧約において、神の祝福は基本的にこの世の利益によって具体化されていました。例えば、敵との戦いにおける勝利や、長寿、富、子孫繁栄、肥沃な土地などでした。


アブラハムは神から祝福を受けました。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る」(創12:2-3)。この祝福は、アブラハム個人だけに約束されたわけではありませんでした。この祝福によって、アブラハムは他の人々の祝福となったのです。


旧約: 問175→の解説を参照

264 イスラエルの人々が神の祝福を受け入れる、あるいは拒否することによって、どのような結果を招きましたか。


イスラエルの人々にとって、神の祝福にあずかれるかどうかは、彼らが神の戒めに従い、神にのみ仕えるかどうかにかかっていました。神に不従順であることは、彼らにとって呪(のろ)いを意味しました。祝福か呪いかの決定は、彼ら次第だったのです「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける」(申11:26-28)。

265 新約では、誰から祝福がもたらされますか。


新約における天からの祝福は、イエス・キリストからもたらされます。


新約:問175→の解説を参照

266 イエスはどのようにして祝福を与えられましたか。


イエスは御言葉、奇跡、行動を通じて祝福を与えられました。子供たちには、按手によって祝福されました。そして罪人の罪を赦されました。中でも最高の祝福は、全人類を和解させるために、罪のない御自分の命を犠牲として捧げられたことです。


イエスによる犠牲の死: 問90→, 99→, 177→以降を参照

267 イエス・キリストによる祝福において、注目すべき点はどこにありますか。


神の祝福は、イエス・キリストを通じて受けられるようになりましたが、その注目すべき点は、霊にあります。これについて、エフェソの信徒への手紙1章3節には次のように書かれています。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」

268 霊的な祝福には、どのようなものがありますか。


霊的な祝福の中には、次のようなものがあります。

  • 天地創造の前から選ばれていること(エフェ1:4参照)
  • 罪の贖いと赦し(エフェ1:7参照)
  • 神の御旨の奥義を知ること(エフェ1:9参照)
  • 未来の栄光を受け継ぐ者とされること(エフェ1:11参照)
  • 福音を通じて神の真理を悟ること(エフェ1:13参照)
  • 聖霊という賜物の証印を押されること(エフェ1:13参照)。

269 どうすればこの祝福を得ることができ、その祝福をどのように扱うべきですか。


祝福の多くは、礼拝の中で信徒に与えられます。犠牲も祝福をもたらします―これはキリスト教徒に与えられる祝福の基本です。


人類は神の祝福を求めて祈り、祝福を受けるにふさわしく振る舞うべきです。


信徒は、神への畏敬(いけい)と、従順と、信仰とによる生き方を通じて、神の祝福に感謝をお示しします。


犠牲と祝福: 問738→を参照

270 祝福に満ち溢(あふ)れるとはどういうことですか。


祝福に満ち溢れるとは、永遠に神の栄光を共有することです。

271 旧約時代、神は人々に律法を与えられましたか。


はい。神はイスラエルの民に、モーセを通じて律法をお与えになりました。律法はトーラー[創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記]の中に含まれていて、「モーセの律法」と呼ばれています。その主な内容は、十戒の中に集約されています。神と隣人とを愛しなさいという戒めも、モーセの律法の一部です。

272 モーセの律法の目的は何ですか。


モーセの律法は、神に喜ばれる振る舞いをしなさい、と教えています。モーセの律法は神からいただいた命の一助となるもので、善に至る道を示し、悪を回避する助けとなります。

「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」 ミカ6: 8

273 旧約の時代、モーセの律法はどのように位置づけられていましたか。


旧約時代、モーセの律法は、イスラエルの人々が最優先に遵守すべき規律として考えられていました。救いに至る道とされていました。モーセの律法を厳格に守ることによって、必ず神に喜ばれ、受け入れていただけると考えられていました。

274 福音から見た場合、モーセの律法はどう位置づけられていますか。


福音から見た場合、モーセの律法は、救いに至る道そのものではなく、救いに至る道を示すもの、すなわちイエス・キリストを示すものです。


モーセの律法のすべてを守ることができる人は、誰一人おりません。ですから人の努力だけで、救いを獲得することは不可能です。「自分は罪人であり、罪を赦していただく必要がある」ということを、一人ひとりが結論として導き出さなければいけません。しかし、罪を赦していただくためには、イエス・キリストを信じる必要があります。


救い、救いを獲得すること: 問243→, 248→以降を参照

275 福音の内容はどのようなものですか。


人類の救いを目的としたイエス・キリストによる神の働きが、福音の内容です。イエスが教えられたすべてのことや、イエスが誕生し、十字架に磔にされ、復活し、再びおいでになるまでの、人としてのイエスに関するすべてのことが網羅されています。福音が明らかにしていることは、イエス・キリストが救いに至る唯一の道であるということです。

276 福音にはどのような別名がありますか。


福音は「十字架の言葉」(一コリ1:18)や「和解の言葉」(二コリ5:19)としても知られています。

277 律法と福音はどのような関係にありますか。


律法も福音も、罪人を救いに導こうとする神の御旨を示しています。


基本的に律法は、神に喜ばれる振る舞いについて指示をする戒めと禁止事項を列挙しています。この律法を一切の違反もなく完全に守ることができた人は、イエス・キリストだけです。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタ5:17)。


モーセの律法の中で現在も有効であり必要とされる項目は、イエス・キリストによって簡潔にまとめられた、神と隣人を愛しなさいという戒めであります。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。[…]隣人を自分のように愛しなさい」(マタ22:37, 39)。


イエス・キリストは、復活された後、モーセの律法、預言書、詩編に書かれていることが、すべて御自身によって成就したことを、弟子たちに説明されました(ルカ24:44参照)。


このことからキリストは、律法を実現させると同時に、律法の終わりである、といえます。律法が救いに至る道である、という旧約の考え方は、キリストをもって終わったのです。そしてイエスは新しい道をお造りになりました。それが恵みという道であります。

「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。」 ロマ10:4<口語訳>

278 福音によって提供される恵みを得るのに必要な基本条件は何ですか。


まず、罪人であることを一人ひとりが自覚しなければいけません。次に、罪人がイエス・キリストを通じて神と和解して、罪人であってもキリストを信じることによって神の御前で有効な義が得られることを信じなければなりません「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです」(ロマ5:18)。

神の御前における正義/義化: 神の御前で正しい ― または、義とされる ― とは、信徒が神に喜ばれる、罪人を神が受け入れて下さる、恵みを与え、赦して下さる、ということです。

279 善行と贖われることとの間には、どのような関係がありますか。


善い事をしたから贖いが得られるということではありません。キリストの恵みによってしか、贖いはもたらされません。そのためにはキリストを信じる必要があります。


善行は生きた信仰の現れです。ですから信仰があるならば、聖なる行動ができるように努力するはずですし、行いの中にもそれは現れます。

「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」 テト2: 11-14