336 自己防衛による殺人は、第五の戒めに違反しますか。


はい。自己防衛によるものであっても、殺人は第五の戒めに違反します。

337 戦争における殺人について、第五の戒めはどういう考え方ですか


戦争における殺人は、第五の戒めに違反します。各人が可能な限り、殺人を回避する責任がある、というのが、この戒めの意味であります。個別の案件において、戦争のような状況の中では、神の御前における罪の責任がほとんど問われない場合があるかもしれません。


神の御前における罪責(ざいせき): 問230→を参照

338 安楽死は第五の戒めに違反しますか。


積極的安楽死をさせる ― つまり死期が近い人を死に至らしめる行動をとる ― 人は誰でも第五の戒めに違反します。


消極的安楽死 ― つまり延命処置をしないという判断をすること ― は、厳密な条件を満たしていれば、第五の戒めに違反しないと考えられます。延命処置をしないという判断は、必ず患者自身が行うべきです。事前に医学的指示が無い場合は、患者にとって最善の利益となるための責任ある判断をした後、医師や親類との協議の上、安楽死の判断をすべきです。

339 第五の戒めから見た場合、死刑制度をどう評価すべきですか。


人が人の生命を絶つ権利はありません。ですから死刑制度は、神の秩序を乱すものであります。さらに新使徒教会は、死刑制度が社会を保護するために有効な抑止力ないし手段であることを認めておりません。

340 第五の戒めは動物の殺生(せっしょう)にも適用されますか。


いいえ。動物の殺生は、第五の戒めに含まれていません。神は、動物が人類にとっての食料となることを認めておられます(創19:3参照)。しかし動物の生命は尊重すべきです。人間には、被造物を保護する責任があるからです。

341 第六の戒めはどのようなものですか。


「姦淫してはならない。」

342 第六の戒めは、どういう意味ですか。


結婚とは、男女が生涯を通じて一つになることであり、神がお望みのことであります。結婚は、公(おおやけ)の場で忠誠を誓う中で表現される自由な意志による行為に基づいています。


伴侶(はんりょ)以外の者と肉体関係を持つことは、例外なく不倫行為です。同様に既婚者と肉体関係を持つことも、例外なく不倫行為です。

343 旧約において、第六の戒めにはどのような意味がありますか。


旧約聖書の時代から、結婚は神によって保護される契約とみなされており、祈りを通じて祝福されました。当時、姦淫は死罪でした。

「人々は二人の部屋を出て戸を閉めた。トビアは寝床から起き上がり、サラに言った。『愛する者よ、起きなさい。二人で主に祈り、主がわたしたちを憐れんで救ってくださるように願い求めよう。』そこで彼女も起き上がり、二人は主の救いを求め始めた。トビアは祈って言った『わたしたちの先祖の神よ、/ あなたとあなたの御名は / 代々限りなくたたえられますように。天とあなたの造られたすべてのものは / あなたをとこしえにほめたたえますように。』」 トビ8: 4-5

344 新約において、第六の戒めにはどのような意味がありますか。


イエス・キリストは、一夫一婦婚制をはっきりと支持しておられました。これは、神がお望みであり、信仰の厚いキリスト教徒にとって、男女の適切な夫婦生活の形態です。


イエスは、第六の戒めが持つ元々の意味よりも、さらに拡大して解釈されました。山上の説教の中でこう言われました。「しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタ5:28)。つまり「心の中の姦淫」、言い換えれば、一見潔白な生活を送っているようでも、思いにおいて姦淫をしている、ということです。

『一夫一婦婚制』とは、一人の男性が一人の女性のみと婚姻関係にある、または一人の女性が一人の男性のみと婚姻関係にある状態を言います。―旧約聖書には、一人の男性が複数の女性と婚姻関係にあるという意味での『複婚制』に触れている箇所がいくつかあります。

345 新約聖書では、離婚についてどのように述べていますか。


新約聖書において、離婚は第六の戒めに違反するとみなされています。「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マコ10:9)。離婚が可能となる唯一の例外は、伴侶(はんりょ)が姦淫をした場合でした(マタ19:9参照)。


いずれにしても、離婚に関する新約聖書の見解は、女性の置かれていた状況を改善することに寄与しました。古代の女性たちは非常に限られた権利しか与えられていなかったからです。そうした状況が改善されたことにより、妻は勝手に夫から離縁されることがなくなりました。

346 こんにちの私たちにとって、第六の戒めにはどのような意味がありますか。


結婚は永続性を目指します(マタ19:6; マコ10:9参照)。こうした観点から、婚姻関係を維持したり、結婚を促進したりするのは、望ましいことです。


また第六の戒めは、伴侶(はんりょ)同士が信仰によって互いに尽くし合いなさい、ということです。第六の戒めを通じて、共に愛し合い、共に神を畏(おそ)れる生活を続けていくために真剣に努力することを、義務として求めているのです。

347 離婚者に対して、新使徒教会はどのような立場ですか。


会衆には、離婚者、離別者の居場所があり、偏見を持たれることなく、教役者による配慮が受けられます。離婚者や離別者がサクラメントの施(ほどこ)しから除外されることはありません。


離婚者が再婚を望む場合、結婚の祝福を希望するならば、受けることができます。結婚の祝福は、新しく出発する機会を与えるためにあります。


イエスは人々を罰するのではなく、愛と恵みとによって接しておられたことを、常に心に留め置くべきです(ヨハ8:2-11参照)。

349 第七の戒めは、どういう意味ですか。


人の持ち物や所有物を持ち去ることを禁じています。他人の財産を不法に手に入れたり損害を与えたりすることは認められません。

350 旧約において、第七の戒めにはどのような意味がありますか。


元々、窃盗を禁じるこの戒めは、まず誘拐行為[人さらい]に適用されていました。本来自由である人がさらわれたり、売られたり、捕虜となったりしないように保護することが、第七の戒めの目的でした。イスラエルでは、財産に関わる犯罪の場合、賠償によってその罪を償(つぐな)うことができましたが、誘拐は死罪でした。「人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手許に置いていた場合も、必ず死刑に処せられる」(出21:16)。


他人の財産を盗んだ場合も罰せられました。モーセの律法によれば次のように補償する必要がありました。「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠(ほふ)るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない」(出22:1<新共同訳21:37>)。

351 新約において、第七の戒めにはどのような意味がありますか。


イエスは窃盗行為を罪とされました。窃盗を起こすきっかけは、一人ひとりの心にあるということです。「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す」(マタ15:19-20)。

352 こんにちの私たちにとって、第七の戒めにはどのような意味がありますか。


窃盗に対する言葉通りの意味は、物質的知的財産を他人から持ち去ることであります。しかし、違法な金貸し、貧困状態を利用した搾取、横領、詐欺、脱税、贈収賄、管理を委託されている金の使いこみも、第七の戒めに違反していると考えなければなりません。


さらに、第七の戒めが私たちに教えているのは、隣人の名誉や評判を貶(おとし)めたり人間としての尊厳を傷つけたりしてはならない、ということです。

高利貸とは、人の弱みにつけ込んで、物品やサービスに対して法外あるいは不合理な代価を要求することです。


横領とは、管理を託されている者の財産を悪用することです。


一方、『賄賂(わいろ)』とは、得る資格の無い物事を得るために行われるサービス (基本的には金品の授受)であり、日本語ではそのサービスをすることを『贈賄(ぞうわい)』と言い、サービスを受けることを『収賄(しゅうわい)』と言います。

353 第八の戒めはどのようなものですか。


「隣人に関して偽証してはならない。」

354 第八の戒めは、どういう意味ですか。


「偽証」とは、他人について事実に反する発言です。「偽証」はすべて嘘であります。この戒めは、真実による言動をしなさい、という訓示です。

355 旧約において、第八の戒めにはどのような意味がありますか。


元々、第八の戒めは、法廷における嘘(うそ)の証言に対して適用されていました。嘘の告訴をすることも嘘の証言をすることも、第八の戒めによれば「偽証」とされました。証人が嘘の発言をしたことが法廷で判明した場合、この証人にはその裁判の被告人に与えられる刑罰が与えられました(申19:18-19参照)。

356 新約において、第八の戒めにはどのような意味がありますか。


イエスは、何度かこの第八の戒めに言及されました。この戒めに違反することは、不適切な態度を示すことであり、人を汚す行為であると指摘されました(例: マタ15:18-20参照)。

357 こんにちの私たちにとって、第八の戒めにはどのような意味がありますか。


こんにちにおける第八の戒めの意味は、事実と異なる言動の禁止にとどまりません。嘘(うそ)、半端な真実、事実の隠ぺいを目的とした発言もさることながら、中傷についても、第八の戒めの違反に該当します。鼻にかけるような自慢をしたり、大げさにものを言ったり、二枚舌を使ったり、偽善を行ったり、噂(うわさ)を広めたり、誹謗中傷をしたり、こびへつらったりすることも、事実と異なる言動の表れです。


誰であれ、真摯(しんし)かつ真実を心掛けるべきです。社会や職場における私たちの行為も、この第八の戒めに基づいているべきです。

相手に危害を与えたり、名誉を傷つけたり、攻撃したりするような、事実と異なる主張を、誹謗中傷と言います。

358 第八の戒めによれば、キリスト教徒がすべき義務とは何ですか。


キリスト教徒は、福音を信じ、それを宣べ伝え、それにふさわしく行動することによって、真の証人となる必要があります。

359 第九及び第十の戒めはどのようなものですか。


「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

360 第九の戒めと第十の戒めが、一つにまとめて扱われることが多いのはなぜですか。


この最後の二つの戒めは、非常に密接に関係しています。この二つは一つの戒めとして扱われることがよくあります。


聖書には、この二つの戒めについて、様々な表現があります。出エジプト記20章17節では、隣人の家についての戒めを九番目としている一方で、申命記5章21節では、隣人の妻に関する戒めを九番目としています。

361 第九と第十の戒めは、どういう意味ですか。


この二つの戒めが言おうとしていることは「欲してはならない」ということです。これは人間のあらゆる欲望を禁止しているわけではなく、隣人の妻や財産を罪深く欲しがることだけを禁じています。


相手にとって愛(いとお)しく貴重な存在、あるいは相手の所有物を欲しがることは、罪深い欲となります。罪深い欲は破滅的な結果をもたらします。欲から貪欲となることもありますが、ほとんどの場合は嫉妬が原因です。

362 旧約において、第九と第十の戒めにはどのような意味がありますか。


時が始まって以来、欲することを禁じられているものへの欲望を、心の中に抱(いだ)かせようと、サタンが人々を誘惑しています。


旧約聖書には、ダビデが隣人の妻を欲したことによって生じた重大な結果を、例として挙げています。この色欲がきっかけとなって、騙(だま)したり、姦淫を行ったり、人殺しをしたりしました(サム下11章参照)。

363 新約において、第九と第十の戒めにはどのような意味がありますか。


罪深い欲望を抑えられなければ、すぐ行動に移ってしまいます。その結果についてはヤコブの手紙1章15節に次のように書かれています。「そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」


ガラテヤの信徒への手紙5章19-25節では、罪深い欲望が罪深い行動をもたらすことを述べています。ここでは、罪深い行動を「肉の業(わざ)」と表現しています。ここの聖句では罪深い欲望の対義語として「節制」という表現を用いています。これは自制、中庸(ちゅうよう)を表しています。

「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」 ガラ5:19-25

364 こんにちの私たちにとって、第九と第十の戒めにはどのような意味がありますか。


第九と第十の戒めが人々に課しているのは、心が純粋であるかどうかをしっかり確認しなさい、ということです。罪深い行動への誘惑に乗らないように闘う必要があります。

「無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」 一ペト1: 14-15