12.1.7.1 礼拝中の主の祈り
礼拝の典礼において、プロテスタント1880年訳のものが用いられる。
「天 (てん) にまします我 (われ) らの父 (ちち) よ
願 (ねが) わくは
御名 (みな) を崇 (あが) めさせたまえ
御国 (みくに) を来 (き) たらせたまえ
御心 (みこころ) の天 (てん) に成 (な) る如 (ごと) く地 (ち) にも成 (な) させたまえ
我 (われ) らの日用 (にちよう) の糧 (かて) をきょうも与 (あた) えたまえ
我 (われ) らに罪 (つみ) を犯 (おか) す者 (もの) を我 (われ) らが赦 (ゆる) す如 (ごと) く我 (われ) らの罪 (つみ) をも赦 (ゆる) したまえ
我 (われ) らを試 (こころ) みに遭 (あ) わせず悪 (あく) より救 (すく) い出 (いだ) したまえ
国 (くに) と力 (ちから) と栄 (さか) えとは限 (かぎ) りなく汝 (なんじ) のものなればなり
アーメン。」
主の祈りは、新使徒教会の典礼において不動の立場を占めている。固定した文言で信徒一同が神に捧げる唯一の祈りである。
主の祈りは悔い改めの祈りでもあり、罪の赦しの前に捧げられる。信仰に忠実な者は主の祈りを唱える中で、自分が罪を犯したことを神の御前に告白する。