5. 1月 2023

「夫〔男〕はあなた〔女〕を治める。」創世記の一文を引用して、女性の教役職叙任に反対する人がいます。しかし神様は創造主の御旨や律法をお定めになったわけではなく、堕罪の結果を予告しておられるのです。聖書を注意して読むと、このことが分かります。

男と女は共に、神様のかたちに、等しく造られました。これは創世記の1章と2章で、天地創造に関する短めの記事→長めの記事→の両方に記録されています。彼らには同じ価値と尊厳が与えられ、自分たちの住む世界を形作る使命を与えられています。

ところが、完全であったこの関係が破壊されてしまいます。

関係の断絶

人は神様の戒めに背き、堕罪はすべてを変えてしまいました。エデンの園で果実を摘み取るだけでなく、過酷な労働をすることになりました。汗と苦痛を伴って生きることになる、と神様は最初の人類に言われました。創世記3章にこのことが書かれています。

神の戒め?

女性の教役職叙任に反対する論調をこの創世記3章に見出す聖書学者もいます。この聖書の記述を、堕罪による裁きと考えているからです。すると、罪による体系が当面の間、創造によるそれに取って代わることになります。

このように解釈する人々は、教役職の問題を、コリントの信徒への手紙一14章34節の記述と結びつけます。婦人たちは、教会では黙ってなければならない。「律法も言っているように」、婦人たちは従う者でなければいけない、と言うわけです。

「…せよ」ではなく「…する〔ことになる〕」

これは本当に神様の戒めなのでしょうか。「そうではない」と別の聖書学者たちは言っています。このことは、「苦しんで子を産むことになる」「額に汗して糧を得る」と、女性と男性に似たようなことをお告げになっていることから明らかです。こうしたことはすべて、人間の意志では決められません。

言うまでもなく「土があなたのために生えさせるのは/茨とあざみである」と書かれています。そのため他の翻訳では〔日本語の聖書もそうですが〕、十戒のように「…せよ」という言葉は使われていません。その代わり日本語では「産むことになる」「糧を得る〔ことになる〕」というように、堕罪による必然としての人間の受動的意志が語られています。

命令ではなく予告

以上述べてきた方法で、神様は新しい秩序を確立なさるのでしょうか。「そうではない」というのが専門家の見解です。確かに、男が女を支配するのが前提なら、土地を耕す苦しみも前提にならざるを得ないでしょう。しかしそうであれば、肥料や農機具によって作業を容易にすることは、天来の秩序に背くことになります。一方が不合理なら、他方も不合理なのです。

残るは「夫はあなたを治める」と言う言葉についての考察ですが、これは神様が秩序なり戒めなりを新たに造らず、堕罪による負の結果を予告するものです。

意図的ではなく許容

では、新使徒教会はどう考えているのでしょうか。教理要綱は、堕罪によって「神と人との平穏な関係がこわれてしまった。〔…〕人間同士の関係もおかしくなった。被造物同士の関係も同様である。」(4.2.1.1→)と明らかにしています。

しかしこうも言っています。「悪は、神がお造りになったものではない。〔…〕悪が生じることを容認されたのである」(4.1→)。堕落した被造物でも、自らが創造主の働きによることを証明しています。創造主は、造ったすべてのものを御覧になりました。そしてそれは極めて良かったのです(教理要綱1.1.1→)。

つまり重要なのは、堕罪によってマイナスの結果を招いたことではなく、神様のお造りになった秩序がプラスを目指していることです。これは男女の関係にも言えます。目指すのは堕罪の結果による相違性ではなく、神様がご自分のかたちに人を造ったという御旨が結果としてもたらした平等性なのです。

再び完全になることを目指す

この目標は、未来に関する新使徒教会の教義で明らかにされています。それによると、第一の復活に与る人々は、千年の平和王国でイエス・キリストとに仕えイエス・キリストと共に治める召命を受けます(10.6→)。

礼拝指針2022年特別第3号に掲載されている、女性の教役職叙任に関する教書には、次のように書いてあります。「男性も女性も、初穂となって王の祭司となる召命を受けています。終末論に関するこの召命は未来についてのものですが、すでにこんにちにおいて、男女共に職務上の権限によって隣人の救いのために奉仕できることを示唆しています。」

原著:Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1124336

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