2023年2月9日 19:48:00 JST

レナード・コルブ教区使徒(アメリカ合衆国)は、あえて未来に目を向けています。彼は、地上での生活の後、永遠の未来でキリスト者を待ち受けている聖なる運命について語ります。しかし、そのための準備をもう今から行うのです。

今年の標語である「キリストに奉仕し共に統治する」は、私たちを未来に向かわせます。キリストがおいでになるのです。主使徒は、キリストの再臨に備えるために、霊的働きにおけるこの二つの要素がいかに必要であるかを明確に示しています。このように、神様がお創りになった被造物の保護や維持を人類にお命じになった最初の段階で始まった、働きの概念は、未来の世界にも継続されます。キリストに仕え、キリストと共に統治するという展望は、感動的な刺激を与えてくれます。想像してください。全能なるお方が、ある目的のために皆さんを召し出しておられるのです!

地上における私たちの歩みには、単に一時的な意味を持つ人生ではなく、永遠の未来における聖なる目的があり、救い主イエス・キリストはこの目的のために私たちを必要としてくださっているのです。

しかし私たちは、ただ未来の生活に魅了されただけの「未来派」になってはいけません。むしろ、この霊感は、今ここで自分自身を準備するという現実に対する「現実派」になることを促しているのです。「キリストに奉仕し、キリストと共に統治する」という二つの働きに着目し、今からこの二つを実践しましょう。

私たちが奉仕について考える場合、犠牲も考慮する必要があります。今、キリストに仕えるために、自分の時間、資源、財産、取り組み、力をどれだけ献げ、犠牲にできるのか、ということです。「だから、イエスを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れてはなりません。このようないけにえこそ、神は喜ばれるのです」(ヘブ13:15-16)。

ヘブライ人への手紙の著者は、善を行い分かち合うことが犠牲である、と教えています。神様を賛美し、感謝することもまた、犠牲を献げることになります。このことから、奉仕は楽なことではなく、自己中心的な生き方にはなじまないということがわかります。奉仕することを本当に望み、そのためのいわば「予算」が必要であり、それに傾注しなければなりません。キリストと共に奉仕したいと言っても、当然何らかの犠牲が必要です。しかし、この犠牲は、奉仕することで得られる喜びに比べれば、大したことではありません。奉仕することの喜びはキリストにある喜びであり、私たちを日常的な重荷や心配事から、主の臨在と私たちの益となる祝福を確信させる、継続的な力と幸福の源なのです。このことが理解できれば、奉仕の働きが容易になるだけでなく、それがキリストの本性の一部であったのと同様、私たちの本性の一部にもなるのです。

統治について考える場合、御霊の実である自制心(ガラ5:22)、つまり、御霊なる神様に導かれた者に備わる特性を考慮する必要があります。自制心、つまり自分自身を支配することは、時に困難な作業です。なぜなら、それは私たちの地上の性質に反し、社会の時流にさえ逆らうからです。現代では、表現の自由や、好きなように行動する自由、制限や抑制のない自由を求める声がよく聞かれます。キリストの霊は、私たちを照らし、自分の本当の姿、つまり小さくて価値のない自分を悟ることで、慈悲深い父なる神様の愛と恵みの御心の下(もと)にへりくだるよう促してくださいます。謙虚な魂は、神様の道と御旨が罪の意識からの解放と自由な奉仕をもたらすという大局をより明確に理解し、自制することが容易になるのです。「主は霊です。そして、主の霊のあるところには自由があります」(二コリ3:17)。

「きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい」(ガラ5:13)。

奉仕と統治という、勝利をもたらすこの二つの優れた特性には、関連性があります。それぞれの特性は、私たちがキリストの再臨に向けて成長し、それに備えるために必要なものなのです。

原著: Leonard Kolb
https://nac.today/en/158033/1139765→

nac.today: New Apostolic Church International

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