2023年3月20日 0:00:00 JST

今年の標語で、「キリストと共に〔キリストに〕奉仕する」というのは明確ですが、「キリストと共に統治する」のほうは、分かりにくいかもしれません。リュディガー・クラウゼ教区使徒(北東ドイツ)は、「この人に聞く」シリーズの中で統治することの意味を説明しています。

主使徒は、今年の標語として「キリストと共に奉仕し統治する」を掲げました。この標語は、一部の人に違和感を抱かせたことは想像に難くありません。「キリストと共に奉仕する」ということについては、私たち全員が理解、納得がいくことでしょう。しかし「キリストと共に統治する」ということについては、疑問を感じ、おそらくは不安な気持ちにもなるかもしれません。統治というのは、支配、指示、さらには審判を意味します。また、管理、あるいは命令という意味もあります。このようなことは、私たちの信仰理解にはあまり含まれておらず、少しはっきりさせる必要があります。

主使徒の思いは、平和王国に向かっています。そこでは、私たちがキリストと共に統治することになります。しかし、標語で「奉仕する」が一番目に掲げられていることを、私は重要視しています。奉仕は、当然支配や指示という文脈でも明確に示されています。平和の王国で、福音を宣べ伝えるということです。「世界を支配するのではなく、キリストの至上性を証しすることである」と主使徒は述べております。キリストによって携挙[1]された人々が福音を宣べ伝えることを、誰も止めることはできません。そこに、支配力の強さがあるのです。義に適ったことであるなら、誰もそれを止められないのです。

このことは、こんにちにおける私たちの生活にも影響を与えます。私たちはこんにち、礼拝の中で、あるいは様々な支援活動を通して、そして少なくとも犠牲を通して奉仕しています。私たちは隣人を受け入れ、愛で満たすことによって奉仕するのです。それだけでなく、こんにちの私たちの生活において、統治するということは、私たち自身の生活を支配し、キリストの御旨に従うということでもあるのです。

このように考えると、ここで言う支配が一般の意味と別質であり、厳格な専制的独裁的支配とは関係ないことになります。こんにちにおいても、また平和王国においても、キリストの戒めを実現させるという意味合いの中で論じられることなのです。そして、この戒めは戒めであることに変わりはないため、信仰の目的を達成するための律法なのです。

原著: Rüdiger Krause
https://nac.today/en/158033/1140278→

nac.today: New Apostolic Church International

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[1] キリストが再びおいでになった時に、キリストの祭司となること。