2023年4月3日 0:00:00 JST

南ドイツ教区を担当するミヒャエル・エーリヒ教区使徒は、「今年の年次標語である『キリストと共に奉仕し統治する』とは、権力への固執ではない」と明言しています。イエス様による統治は、この世の権力者と異なります。イエスがおいでになったのは仕えられるためではなく、仕えるためです。

親はふつう、自分の子供に最高のことだけをしてあげたいと思うものです。それは、次世代の人々がより良い人生を送れるようにと、親が常に努力していることにも表れています。マタイによる福音書にも、このような親の献身的な行動が記されています。20章によれば、ヤコブとヨハネの母親が、二人を御国でキリストの右と左に座れるようにしてほしい、と主に願い出ています。つまり、息子たちが神の栄光の中で目立つ位置につくことができるように、とお願いしているのです。他の弟子たちは、ゼベダイのこの二人の息子に注目してもらおうとする様子に腹を立てました。イエス様はヤコブとヨハネに対して、次のように戒められました。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、あなたがたの中で頭になりたい者は、皆の僕(しもべ)になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」(マタ20:26-28)。

 

弟子たちがいつの日か主と共に統治することになるのは、間違いありませんでした。しかし、イエス・キリストは「権力に固執する態度は、自分の本質と相容れない」と明言しておられます。主であるイエス様による統治は、この地上の権力者によるそれと異なるからです。

 

聖書の解説は以上にします。イエス・キリストのおいでになったのが、仕えられるためでなく、仕えるためなのですから、ご自身の弟子でもある私たちに対して、キリストはなおさらそのことをお求めになります。

 

具体的には、次のようなかたちで仕えることです。

  • 教会の礼拝に出席し、そうすることによって公に信仰を表明します。
  • 言葉、働き、本質において、福音を宣べ伝えます。
  • 霊的物的両面で犠牲を献げます。
  • 賜った能力を用いて主の教会に貢献します。

 

そのほかにも、神様と隣人に仕える方法はたくさんあります。少しでも時間があったら、その方法について考えてみることをお薦めします。こんにち、主に仕える人は、永遠に主と共に統治するために、できる限りの準備をしているからです。

原著:Michael Ehrich
https://nac.today/en/158033/1140207 →

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