2023年5月15日 0:00:00 JST

カナダ担当のマーク・ウォル教区使徒は、12歳の時にすでに、会社の社長も本当は僕(しもべ)の一人に過ぎないということを体験しています。今回の「この人に聞く」シリーズでは、「統治すること」がいかに多く「奉仕すること」なのかについて、その神髄に迫ります。

 

 

幼い頃、私は奉仕し統治するということについて、その本当の意味を知りました。私は12歳で、夏の間、父の倉庫で働きました。父は椅子張り生地と資材の卸売会社を経営していました。私の仕事は、倉庫の掃除とバスルームの掃除で、それが私の誇りでした。ある日、私は父に「大きくなったら自分の会社を持ち、パパみたいな社長になりたいな」と言いました。父は、「お父さんには何百人もの上役がいるんだよ」と言いました。私はそれに驚いて、「どういうこと?パパはCEO〔Chief Executive Officer 最高経営責任者〕であり、会社は自分のなんでしょ」と答えました。すると父はこう言ったのです。「金曜の夜にお得意さんから電話がかかってきて、あるプロジェクトの仕上げに5メートルの生地が足りないと言われたら、私は土曜の早朝に倉庫に行き、材料を切って届けなければならないんだ。そのお得意さんは、自分の顧客であるホテルのお客様がホテルのレストランに来られて、美しい家具に囲まれた環境で食事ができるように、自分の仕事を完成させなければいけない。だから、誰が社長というわけではなく、互いに仕え合っているんだ。生きとし生けるものはそれぞれの居場所を持ち、別の生けるものを支えているんだ。そして唯一無二の本当の社長が神様というわけだ。神様は愛であり正義であり、私たちに仕えることによって統治なさる。同様に、神様が私たちにお命じになることは、ご自身のためではなく、私たちのためなんだ。」

 

 

最も偉大な人は仕える人である、ということをお示しになったのが、御子なる神様です。御子がおいでになったのも、仕えられるためではなく、仕えるためでした(マタ20:28)。実際、キリストはルカによる福音書22章26節で、「上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」と言っておられます。本当の意味で上に立つ人とは、自己満足や自己の栄光を求めるのではなく、純粋な気持ちで人の助けになろうとする人のことなのです。

 

 

「統治する」とは、他者や政治体制に対して権力を行使することではありません。実際、神様がご自分のかたちに人を創造されたのは、人自身を統治するためです。イスラエルでさえも、王を持つことは意図されていませんでした。神様が彼らの王であられるべきでしたが、彼らは他の国々のようになるために、自分たちに王を与えることを神様に要求したのです(サム上8章)。堕罪の結果、警察、統治機構、学者などが必要になったのです。しかし、新天新地では、三位一体の神様以外に権威は存在せず、神様が愛をもって私たちを養い続けてくださいます。それによって私たちは喜びをもって神様の栄光を賛美し、神様に奉仕することができるのです。

 

 

原著: Mark Woll

https://nac.today/en/158033/1140227→

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