2023年7月13日 19:48:00 JST

明確に言えるのは「聖書にはっきりした指針が示されていない場合は、教会が決められる」ということです。では、「女性教役職〔教職〕叙任」の問題は、今までどのような方法で決められたのでしょうか。その決定は、様々な方法による乏しい正当性に基づいたものでした。

 

 

過去80年間、新教徒教会は男性のみを霊的職務に叙任してきました。それ以前の80年間は、女性も執事に叙任されていました。ここで疑問なのは、行われていた女性教役職叙任が行われなくなったのはなぜか、ということです。

 

礼拝指針2022年特別第3号に掲載された最新の教義論文によれば、女性と教役職に関する「使徒職の公式かつ神学的に立証された宣言はなかった」ということです。 また、教会史を専門とする博士マンフレッド・ヘンケ氏は、nac.todayからの問い合わせに対し、「新使徒教会の古い文献にさえ、女性がいかなる典礼も行うことはできないという事実に対する神学的正当性は見いだせない」と述べています。

 

 

わずか二文のみの見解

礼拝指針1999年6月号の中で、リヒャルト・フェーア主使徒が、教役職に関する一般的な理解について、公式声明に近いものとして次のように述べています。「新教徒教会では、女性は霊的職務を担っていません。この問題に関して、教会の方針はイエス様を模範としており、聖書の記述と調和していると考えています。」

 

この声明は、女性に対する沈黙の戒め十二人の召命にしか触れていません。この二つの記述には、30ページに及ぶ最新の論文と異なり、包括的な考察と正当性が示されていません。また、1999年の声明には、教区使徒会議による承認決定もありません。

 

 

未来への展望

要するに、この声明は当時の状況をまとめたものなのです。またフェーア主使徒は2005年に「女性の教役職叙任について福音書はどう言っているか」という質問を受けた際、次のように明らかにしました。「聖書をどう解釈するかによって、パウロのように『女性は説教をするにふさわしくない』と言えます。一方で『女性は非常に忠実にイエス様に従い、イエスは女性に多くのことを語り、多くのことを託された』とも言えるのです。」

 

フェーア主使徒はさらにこう述べています。「しかしいつか、以前のように女性執事の活動する日が来るかもしれません。」また『我らの主はおいでになる』という書籍が出版された時のインタビューで、次のように述べています。「つまり、執事の叙任が第一歩となる、ということです。でも、まだ機が熟していないと思います。将来の動向に注目しましょう。」

 

 

思いのほか難しい

教役職の叙任が男性に限定されていることについて「女性の教役職叙任は以前からの慣行という問題だと思います」と後継者であるヴィルヘルム・レーバー主使徒は説明しました。「ペンテコステのパンフレット『Einmütig im Geist』(2005年)に掲載されたインタビューでは、「叙任が男性に限られていることに対する疑問は残ったままである」というレーバー主使徒の言葉が引用されています。

 

2012年、ドイツのリューベック地区の青年たちとの座談会で、レーバー主使徒はさらにはっきりとこう述べています。「(女性教役職叙任は)十分あり得ますし、女性が教役職を担えないとする理由はありません。ですからそれを否定するつもりはありません。」しかしこうも述べています。「いざこれを可能とするのはそう簡単なことではありません。なぜなら、信徒に受け入れられるかどうかは、社会情勢や文化的な刷り込みによるからです。「世界中に展開する教会として、私たちはこのことに敏感でなければなりません。」

 

 

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今回の結論:男性のみを教役職に叙任するという慣行は、使徒団の教義に基づく基本的な決定を欠いていました。フェーア主使徒とレーバー主使徒も、女性を霊的職務に召し出すことは可能だと考えていました。しかし、フェーア主使徒が言及している女性執事とは何なのでしょうか。これを次回のこのシリーズで扱います。

 

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1169321→

nac.today: New Apostolic Church International


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