2023年7月31日 0:00:00 JST

奉仕し統治することについては、すでにこんにちにおいて、聖霊から特別な教えをいただいています。具体的にどう教えておられるかは、米国のジョン・シュナーベル教区使徒補佐が「この人に聞く」シリーズの記事で解説しています。

 

 

主使徒は今年のテーマで、私たちの目的と、その目的がこんにちの私たちの行いにどう関係しているかについて注意を促しておられます。確かに、主の日に突然、奉仕し統治する完全な方法を習得できるとは思っていません! キリストにある新しい被造物の能力をいただいているとはいえ、当然のことです。しかし、こんにちにおいて私たちはすでに、人生の様々な局面で、聖霊の助けによって奉仕し統治しているのです。ではさらに毎日効果的に奉仕し統治するにはどうすれば良いでしょうか。

 

まず、自分の力がどこから出ているかを理解しておかなくてはいけません。この力はペンテコステにいただいたものです。「神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです」(二テモ1:7)。この力は、私たちをキリストに導く聖霊の賜物から出ているのです。聖霊は私たちの内に住まわれ、私たちが主の子であることを証しし、新しい経験につながる新しい優先順位に従って生きられるようにしてくださいます(ロマ8:11-16)。

 

使徒パウロはコリントの信徒への手紙二12章で、そのようなことを体験する、と書いています。私たちの人生においては、恵みによってしか、神様を体験できないのであって、決して自分の手柄ではない、と6節で書いています。私たちに御霊の力があることを実際に証明するのは、私たちの言動を通じて周りの人が経験することです。私たちの人生に適用された福音によって、私たちは変わらなければいけません。しかし、自動的に変わるものではありませんし、簡単に変わるものでもありません。パウロは、自分が謙虚になるために肉の「棘(とげ)」が与えられたと説明し、自分が成し遂げたことはすべて神様の十分な恵みによるものであることを明らかにしています。「強さと弱さが共に働く。」これがキリスト者の歩む人生です。よく気づかされますが、強さの時期が終わると、すぐに試練がやって来てそれを克服しなければなりません。克服するために戦う時、私たちの弱さの中に神様の力が明らかにされます。私たちには皆、棘が与えられていて、その棘によって謙虚にさせていただくのです。キリストの力が私たちの内に宿るように(二コリ12:9)、棘が与えられ、神様の恵みが分かるようになるのです。

 

棘のあることが分かっているだけでは不十分で、棘が伝えていることを理解しなければいけません。私は名門大学の大学院課程に応募しましたが、不合格になったという経験があります。なんと鋭い棘だったことでしょうか! この経験を「自分に実力がなかったんだ」とか「教授のせいだ」と受け止めることもできました。しかし、主は違うことを教えてくださいました。「これがあなたの道ではない。謙虚になり、私の計画に頼りなさい」と教えてくださったのです。私たちの弱さは主の強さの中で守られます。それが私たちの信仰の道ですが、そのためには自分自身を統治する必要があります。このことについてパウロは「力は弱さの中で完全に現れる」と実に的確に言っています。そして、私が強い時、弱い人々を助け、自分の力の源である「イエス・キリスト」を示すことができるのです。

 

原著: John Schnabel

https://nac.today/en/158033/1140409→

nac.today: New Apostolic Church International

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