2023年9月1日 0:00:00 JST

施しをすること、そして献身を怠らないようにすることは、九月の日曜礼拝が提示する実践的なヒントです。「正しい人になる」と「山上の説教」がテーマです。

 

 

九月前半二回の日曜日は、どうすれば神様の御前で正しい人になれるかに焦点を当てます。そして後半二回の日曜日は、山上の説教から引用した聖句を用いて、どのようにして日常的に信仰生活を送ればよいかに焦点を当てます。

 

 

信仰のみ

第一日曜日の基調聖句は、ローマの信徒への手紙5章19節です。「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」パウロはアダムとキリストを比較しています。つまり二人の人のうち、アダムによってこの世に罪が入り、こう一人のキリストが人間の罪を背負われたことによって、罪に勝利した、ということです。

 

アダムは罪深い人、贖いが必要な人類を表しています。罪を贖う必要が無かった人は、イエス・キリストお一人でした。そのキリストが犠牲となってくださったことで、こんにちの人々は神様の御前で正しい人となることができるのです。この日の礼拝では、私たちの人徳や努力で信仰の目標に到達することがない、ということに、特に注目します。イエス・キリストに従う人だけが、救われて正しい人となれるのです。

 

 

一人がすべての人のために

第二日曜日の説教は第一日曜日のそれと関連しています。努力して救いを得られる人は誰もいないということを、改めて確認します礼拝はヨハネの黙示録22章12節に基づいて行われます。「見よ、私はすぐに来る。私は、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」罪を犯すことなく人生を歩まれたイエス・キリストは、ご自身が犠牲として死なれたことによって報いを得、すべての人間が罪を赦されるようにしてくださいました。この徳に、未来と現在の両方に渡って与らせていただくにはどうすれば良いか、礼拝の説教で明らかにされます。

 

 

善を行う―目立たないように

「施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」山上の説教で、イエス・キリストはこう仰せになり、施しをし、善を行い、それを何よりも目立たないように行うことが神の御心に適うことを明らかにされました。大切なのは動機です! 主が薦めておられる助けには、食べ物、水、衣服などの物質的な贈与もあります。しかし、見知らぬ人に親切にしたり、囚人を訪ねたりするなど、霊的な貧困者に配慮することも重要です。

 

 

熱意を失ってはいけない

塩は塩気を失うと使えなくなります。化学的に不可能なことには、比喩的に深い意味があります。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」(マタ5:13)。第四日曜日に聖句として引用される、地の塩という表現は、キリストの福音と教えを表しています。もし私たちがこの塩になるのであれば、福音と教えを内に生かし、自身の本質的部分としなければなりません。

 

このことが具体的に何を意味するかは、礼拝の中で明らかになります。キリストによって生きるということの意味を、私たちの言動を通して示します。福音に適う人生を送るなら、人の模範、刺激となることができます。人々に福音を広め、イエス様がおいでになることを伝えましょう。定期的に礼拝に出席し、兄弟姉妹と交わることで、塩気が失われるのを防ぐことができるのです。

 

原著: Katrin Löwen

https://nac.today/en/158033/1192553→

nac.today: New Apostolic Church International

 

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