2023年9月13日 0:00:00 JST

聖書に「文字は殺し〔…〕」という一節がありますが、これには言葉以上の意味があります。主使徒は、2023年7月12日にフィンランドのヘルシンキを訪問した際、この聖句の後半部分「霊は生かします」の背景を会衆に解説しました。

 

 

〔以下、説教の概要〕コリントの会衆の中に、おかしなことを企んでいたグループがいました。イエス・キリストの福音を宣べ伝えることで、金儲けをしようとしたのです。そして、彼らはモーセの律法の遵守を主張し、自分たちを旧約に固執しました。ですからパウロの権限を疑ったわけです。この礼拝で引用された聖句であるコリントの信徒への手紙二3章6節は、パウロの言葉です。「神は私たちに、新しい契約に仕える資格を与えてくださいました。文字ではなく霊に仕える資格です。文字は殺し、霊は生かします。」

 

 

古いか新しいか

パウロはコリントの教会に宛てた手紙で、自分が新しい契約の僕(しもべ)であり、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていることを明らかにしました。イエス様はモーセの律法を廃止ではなく、完成なさったのです。そして、イエス・キリストの教えがモーセの律法に取って代わったのです。

 

モーセの律法は地上の物事を規定するために与えられ、またこの世での祝福を約束するものでしたが、イエス様の教えは永遠の命と霊の祝福に関するものです。

 

「残念なことに、一部のキリスト教徒はいまだに旧約聖書の考え方に固執しています。この世のことが中心になっているのです。しかし、こんにち遣わされている使徒たちの任務は、彼らにこう伝えることです。「申し訳ありませんが、イエス・キリストがおいでになったのは、この世の問題を解決するためではなく、私たちが永遠に生きるようにすることなのです。」

 

 

文字は殺す

「文字は殺す」という表現は、少し違和感を覚えるかもしれません。実際、パウロが「文字」といっているモーセの律法は、神様によって与えられたものです。しかし、律法が問題ではありませんでした。問題なのは人間の罪深さでした。人間は律法を遵守し実現させることができませんでした。

 

パウロが 「文字は殺す」と言ったのは、霊的な死、つまり神様から遠ざかった状態を指しているのです。律法を守ることで救っていただくことは不可能です。すべての人が罪を犯し、神様から遠ざかるからです。

 

これらの律法を守れと主張した人々は、神様についての理解が非常に人間的でした。この人たちにとって、神様は厳格な裁き主でした。律法を守ればこの世で祝福され、違反すれば罰を受けると彼らは信じていました。しかもユダヤ人に問題なのは「律法を守れば守るほど、救いと祝福を受けるにふさわしい人になれる」と彼らが信じていたことでした。言い換えれば、律法を守れば、神様は救わないはずがない。神様は祝福せざるを得ない」と考えていました。しかし、パウロはコリントの会衆に「あなたがたが従順だからといって神様に祝福を強制はできない」と明言しました。救いは対価で得られるものではないのです。

 

これを聞いて、会衆の一部はキリストから離れて行きました。「救い主なんて必要ない。正しいことをすれば救われる」と彼らは考えました。しかし、イエス・キリストは神様の本質を現されたのです。

 

 

霊は生かす

イエス様は人々に、神は人の行動や働きだけでなく、姿勢、気持ちも考慮されることを明らかにされました。もし隣人と和解していなければ、供え物やいけにえが恵みをもたらすことはできません。事実「自分の名によって奇跡を行った者が必ずしも救われるとは限らない」とイエス様は指摘しておられます。つまり、神様への理解を深めることは、規則を守るだけが重要ではないと認識することです。率直な心、隣人への愛と慈しみに満ちた心も必要なのです。

 

敬虔なユダヤ人が抱えていたもう一つの問題は、過去にとらわれた律法に執着していたことです。それがイエス様を拒んだもう一つの理由でした。イエス様によって、変化がもたらされました。ユダヤ人は伝統と過去にとらわれていました。命がなければ成長はあり得ません。

 

聖霊は命ですから、成長があります。キリスト教は基本的に、変化と成長の信仰です。規則を守ることだけではありません。神様は私たちが成長することを望んでおられるのです。

 

 

愛は振る舞いを決める

成長すると、信仰に対する姿勢も変わります。「神様を信じるのは、もはや罰が怖いからでも、報酬を当てにしているからでもありません。私たちは何でも、神様を愛しているからやるのです。

 

つまり神様の御旨を実行するのは、ただ服従しているからではなく、御旨が自分の意志となったからです。私たちの願望は、神様の願望と同じです。人々が神様の愛を体験できるようにすることが、私たちの務めです。

 

パウロはガラテヤの信徒への手紙の中でこう書いています。「なぜなら律法全体が、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句において全うされているからです。」

 

原著: Simon Heiniger

https://nac.today/en/158033/1217831→

nac.today: New Apostolic Church International

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