2023年10月19日 0:00:00 JST

倒れても起き上がり、前進する――こうして目的地に到達するのです。神様は正しい人にその手助けをしてくださいます。正しい人とは誰のことでしょうか。その答えを、主使徒は礼拝の中で、五つの例を挙げながら示しています。

 

 

「正しき者は七度倒れても起き上がる。/悪しき者は災いに遭ってよろめく。」主使徒が202386日にオーストラリアのパースで司式した礼拝では、箴言2416節が基調聖句として引用されました。〔以下、説教の概要〕

 

神様が求めておられることを実行し、隣人に正しいことをする人は、正しい人である、と言っていますが、こんにちにおいてその意味は、イエス・キリストを信じて、神と隣人を愛せよという戒めを実行するということです。

 

一方、悪人は自分勝手な道に進み、神様も隣人も尊敬しません。人生で成功したとしても、結局は神様に拒否されることになります。

 

正しい人はいくら倒れても、心の姿勢が正しいため、神様がその都度起き上がらせて、恵みをお与えになります。私たちには、倒れる可能性が次のように五つあります。

 

望まないことをする。私たちが罪を犯しても、イエス様は絶対に非難なさいません。罪人であることをご存じだからです。罪を犯すことは、人間が持つ一つの性質なのです。ただ罪を犯さないための奮闘努力を止めないで、自らを克服して改善していくことが大切です。七度倒れたら、その都度起き上がって、何度もやってみるのです。

 

望ましい善を行わない。ペトロがその典型です。ペトロはイエス様を知らないと言いましたが、あとで正しいことをしました。裏切ってしまったことを心から後悔し、男泣きしたのです。そして神様を愛することを止めませんでした。確かに、信徒の皆さんは誰でも、神様との約束を破ってしまいます。ここでいう正しいこととは、自己点検です。どうして約束を守れなかったのか。利益を得られると思ったか、自分のおかげだと思ったか。神様のためにすることは愛の気持ちからすべきであって、利益を期待するようなことではありません。倒れた時に大切なのは、態度を正しくすることです。過ちを反省します。イエス様を自分が愛しているということを、そして、イエス様に証ししようと意識するのです。

 

非常に高いところから落ちるとは、試練や苦難に遭うことを表しています。ヨブがそうでした。彼は当初、神様に腹を立てました。神様への信頼を回復したことについては、ヨブ記の最後の章に書かれています。私たちも生きている中で疑ってしまうのは仕方がありません。ヨブのように、ヨブのように、接触を維持しましょう。神様に同意できなくても、神様に話しかけたり神様の話を聞いたりすることは、止めないようにしてください。

 

十人のおとめのように、眠りこける。おとめたちは全員寝てしまいました。しかし花婿が来て「花婿がおいでになった」という声が聞こえると、そのうちの五人は花婿と一緒に婚宴に入ることができました。油を十分持っていたからです。喜んだり、頑張ろうと思ったり、主に尽くそうとしたりする気持ちは、時々弱くなることがあります。しかし、主を愛することは止めないでください。皆さんが愛していることを主がお聞きになったら、主も皆さんに答えてくださいます。

 

神様の御旨に逆らう。ヨナがそうでした。彼は神様のお考えに同意できず、神様から逃げて行きました。「神様は、自分が救われたように他の人たちも救おうとしておられる。自分がそれを阻止することはできない。」ヨナは正しい態度でそう悟ると、救いに与りました。私たちにも「神様にはこうしていただきたい。こういう働きをしていただきたい。神の子たちはこうあるべきだ。こういう環境になってほしい」といった、自分なりの考えがあります。神様には正しい態度で臨み、謙虚に、従順に、イエス様を模範としましょう。イエス様は「御旨が成りますように」と言われたのです。

 

以上のことから、神様は正しい人を救ってくださいます。神様へは正しく振る舞い、謙虚な姿勢で悔い改め、神様を信頼し、愛しましょう。

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1226293 →

nac.today: New Apostolic Church International

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