2023年12月6日 0:00:00 JST

小さな種でも、大きな力を持ち、大きく成長することがあります。才能や欠点、過去に関係なく、誰もが祝福の源となれるのです。

 

 

エルンスト・シュトレックアイゼン主使徒は、アルゼンチン北東部のミシオネス州を訪れた最後の主使徒でした。1978年のことでした。それから四十五年後、再び主使徒によるミシオネス訪問の時が来ました。2023年10月13日、ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒はモンテカルロを訪れ、この地域と隣国パラグアイから集まった約1000人の会員に奉仕しました。

 

キリストが地上に来られた時、ユダヤ人には、神様の御国がどのようなものであるかについて、ある種のことを考えていました。イエス様は神様の御国がどのようなものかを、たとえ話を用いて、彼らに説明されました。「また、別のたとえを彼らに示して言われた。『天の国は、からし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる』」(マタ13:31-32)。

 

このからし種は、皆さんが庭に植える他の多くの種よりはるかに小さいのに、大きな低木に成長します。種子の成長は、その大きさによって決まるのではなく、種の中にある生命、力によって決まるのです。

 

 

小さな種――イエス・キリスト

まず、からし種とはイエス・キリストを表しています。これは簡単に理解できます。イエス様は幼子として地上においでになりました。飼い葉桶に寝かされていました。ほんの小さな種のような存在に過ぎなかったわけです。活動をお始めになっても、エルサレムに入りになる時は、立派な王様としてではなく、強力な軍を伴ってでもなく、ろばに乗って慎ましくお入りになったのです。

 

それでも、イエス様に使命を果たせないようにできる人は誰もいませんでした。この小さな種は、聖なる命に溢(あふ)れていたからです。この聖なる命はイエス様の中に生きており、神様の御心を実現なさる聖霊に導かれていました。これこそ、イエス様の内でめざましい成長をもたらした力だったのです。

ところが小さな種というたとえ話はユダヤ人にとって説得力がありませんでした。彼らの信じていた預言者たちが告げたことによれば、メシアはすばらしく、偉大な、高くそびえる木のようなお方ということだったからです。

約束された救い主について彼らが持っていた概念に、キリストの生き方は適合していませんでした。イエス様ご自身はからしの木であり、そう大きくなく、杉の木のような堂々たる姿ではありませんでした。イエス様は最後まで慎ましい姿を維持なさっていました。人々はイエス様を十字架にかけました。イエス様は弱い存在でした。孤独で見捨てられてしまいました。堂々とした大きな木からは全く遠い姿でした。

イエス様の力と栄光を、人々が分かるようになるのは、イエス様が再びおいでになる時です。

 

 

小さな種――キリストの教会

神様の御国は何度となくキリストの教会と比較されます。小さなからし種も同様です。イエス様はご自分の教会を建てるために、幾人かの弟子たちという小さな群れを召し出されました。その弟子たちには教養がありませんでした。漁など様々な仕事に就いていました。社会の底辺にいた人たちでした。

 

しかし彼らが使徒として宣教活動を始めるや否や、この種の中にある力と命が開花しました。こんにちまでの数世紀の間に、キリストの教会は成長し続け、様々な国々出身の非常に多くの人々が信徒となり、キリストに従うようになりました。このように発展したのも、聖霊の臨在と、使徒たちがキリストから与えられた使命を果たしたことによって、はじめて可能となったのです。

 

キリストの教会は、からしの木のようであって、大きな杉ではありません。私には罪人にしか見えません。教会の見える部分はそこに所属する人や物事の欠点を反映しています。教会の栄光の部分が完全に明らかになるのは、新天新地においてです。

 

 

小さな種――信徒

神様は初めから、ご自分の使命を実現させるために、小さな種を使われました。小さなからし種というたとえは、信徒全員も指しているのです。その例を聖書から挙げてみましょう。

 

  • モーセは口下手な罪人でした。
  • パウロは当初、教会に敵対し、能弁でもなく、病弱でした。

 

二人ともちっぽけな種のような人と言えますが、ひとたび神様の御旨に導いていただくと、二人とも、こんにちに至るまで、すべての信徒たちにとって祝福の大いなる源泉となったのです。「自分は非常に弱く、これといった才能もない」という人がいらっしゃいます。しかし、私たちも聖霊に導いていただき、御旨を実行しようとする決意があるなら、神様は、才能、欠点、過去がどうであろうと関係なく、私たちを人々にとっての祝福の源泉とさせてくださいます。

 

信徒たちも最初は不完全です。私たちの栄光は、復活の後に明らかにされるのです。

 

原著: Simon Heiniger

https://nac.today/en/158033/1236018

nac.today: New Apostolic Church International

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