2023年12月19日 0:00:00 JST
人々が教役職に就くのは、神様によるものです。とはいえそれがうまくいかないこともあります。その場合、問題は人にあるわけではありません。では、どこにあるのでしょうか。
そもそも結果を議論することではありません。神様はお遣わしになった僕たちに、結果を求めておられるわけではないからです。神様が求めておられるのは、僕たちが御心を実行することです。しかし、教役者が嘱託の範囲内で権限を行使することができなくなることもあります。
これは神様から受けている元々の召命に問題があるわけではありません。人の不完全性や過ちがその原因だからです。このことは礼拝指針2020年特別第3号「教役職への選びと召命」に明記されています。
教役者の側に問題がある場合
この礼拝指針には、教役者にとって職務行使が困難になる理由として、四つ挙げられています。一つ目は自らの職務に相反することを行う場合、二つ目はその教役者が使徒職と一つになっていない場合、三つ目は自身の行動によって教会員からの信頼を失っている場合、最後に自分の才能や力量を教会の奉仕に活用しようと思わなくなっている場合です。
これらの場合、当該の教役者は神様からいただく祝福を、自ら拒否することになります。但しその人が職務上の嘱託の範囲で行使することは、有効のままです。つまりサクラメント、罪の赦しの宣言、祝福、御言葉の宣教はその有効性が継続するということです。
会衆に問題がある場合
人間の持つ弱点によって、会衆の人たちが教役者に対して不寛容になったり反友好的になったりします。このような状況になると、教役者が嘱託を果たすことはできなくなります。「こうした問題が生じる要因は、会衆にある」と礼拝指針に書かれています。
使徒に問題がある場合
教役者が最善の努力を尽くしても職務に適さないことが明らかになる場合があります。礼拝指針はこのことについて次のように指摘しています。「使徒は自らを問いたださなければいけません。会衆の要望や教役者の才能に対する評価に誤りがあるかもしれません。」いずれにしても、使徒は、本人の才能に適した嘱託遂行ができるようにすることによって、その教役者と家族を必要に応じて支援できるよう努めなければいけません。
外部の環境に問題がある場合
健康上の問題、家庭や職業の変化、教会員の構成の変化、または教区の組織変更など、様々な要因によって、教役者自らの職務を果たすことが難しくなることがあります。
礼拝指針は「このような変化は神様の召命に問題があるわけではありません」と述べています。これを契機として、指導統轄の立場にある教役者は、神様が今何を求めておられるか、関係する教役者が御旨に従って権限をどう続ければよいか、あるいはどの程度まで嘱託を適応させる必要があるかを考えなければいけません。
指導統轄を担う教役者にも保証されていること
指導統轄の職能に指名されている教役者も、こうしたあらゆる点を考えなければいけません。何よりもその職能を受けている会衆、小教区、教区の各主任が考えなければいけません。
ここでも同じことが言えます。変更が生じる可能性に神様の召命に対する疑問が生じないのは、任命または指名された教役者は最初から、特定の環境と特定の期間内で明確に特定された務めを行うという召命を受けているからです。
この礼拝指針の論文は次のように締め括っています。「任命された教役者及び指名された教役者が、神様によって召されていることを認識するならば、『神様が自らの務めを支え、信仰、愛、一致において彼らの行う働きを祝福してくださる』と確信できます」と述べています。
原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1235079→
nac.today: New Apostolic Church International