1. 3月 2024

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教役職の選出と召命

教役職に関する私たちの考え方の中で、「何を」と「誰に」の問題については解決しました*。 残りは「教役職がなぜ信徒に与えられるのか」という問題です。これについてのジャン=ルーク・シュナイダー主使徒による解説です。

 

新使徒信条第五条には、次のように明記されています。「私は、神によって定められた教役者が使徒によってのみ叙任されること、職務執行のために与えられる権能、祝福、聖別は使徒職からもたらされることを信じます。」これについて教理要綱には以下のような注解が付いています。
 

  • 人が教役職に就くのではなく、そもそも会衆がその職を行うわけではない。教役職は神が教会に対してお与えになった神の賜物である。
  • 神ご自身がある人物を指名され、その人物が職務を受ける。
  • 使徒団からの叙任の際に、神によるご指名が了解される(教理要綱2.4.5)。

 

信心を維持・増強する
「職務への選出は天来のもの」という信心は、私たちの教会がもつ豊かさの一部です。この信心は教役者にとって、意欲や強さの源泉です。同時に、会衆の側もこの信心によって、霊的職務を受け入れることができます。

周知の通り、叙任の前に神様のご指名があり、このご指名が使徒による叙任の判断として具体化します。とはいえ、内容の重要性を考えると、これでは幾分説明不足と言わざるを得ません。

状況によっては、神様が教役者に指名なさることに対して、疑問が生じるかもしれません。例えば、教役者が職務にふさわしくなかったり、職務が果たせなかったりする場合などです。

叙任する教役者の選出は、ほとんどの場合、次のように行われます。

 

  • 当該地区の責任を担う教役者が、叙任候補とする兄弟姉妹の一覧を、使徒に提出する。
  • 提出された一覧に基づいて、使徒(もしくは教区使徒)が叙任する兄弟姉妹を選出する。
  • 当該地区の責任を担う教役者が、選出された兄弟姉妹と連絡を取り、事情を説明する。
  • 選出対象者の同意が得られた場合、使徒はその者を教役者に叙任する。

 

この叙任に向けた手続きを、神様によるご指名と調和させることは、必ずしもたやすくありません。そこで、神様によるご指名と職務への召命の概念を説明することが私には有益に思えます。


神によるご指名

神様がお決めになるすべての事柄と同様に、神様による教役職へのご指名も、私たちが信仰によってしか理解できない秘義です。なぜ神様が信徒を選んで特別な使命をお委ねになるのかを、使徒でさえ、完全に理解できません。使徒の任務は、神様の御旨を理解し、その御旨に従って行動することしかないのです(教理要綱7.7→)。


どの信徒が神様による教役職への召命を受けているのかを決めるためには、以下の事柄を考慮しなければいけません。

教会が必要としているか。教役職になること自体で終わりではありません。教会が必要としている事柄に対応するために、神様によって教役職が与えられます。使徒とその共働者は、会衆が必要としていることや要求していることを明確に理解するために、聖霊に導いていただくことが必要です。

霊的賜物。神様は教役職に指名された人物に、職務の行使に必要な霊的賜物をお与えになります。教役職に召された信徒は、以下の項目を実行することによって信認が得られます。

 

  • イエス・キリストを信じ、その死と復活と再臨を信じる。
  • 福音に忠実。
  • 教会が救いの仲介役であることを信じ、使徒、サクラメント、教役者の職務を信じる。
  • 神様と信徒を愛する。
  • 自発的に奉仕する。

 

人間的能力。神様からのご指名は、対象の信徒に対して神様がお与えになる能力においても現れます。その例の一部としては、聞く力、対話能力、自らをはっきり表現する能力、胸襟を開く能力、常識、知識、学ぼうする能力と意志です。使徒とその共働者は、教役者の人間的 ― すなわち性格面、感情面、知性面の ― 能力も、奉仕に召される会衆の必要に対応していることを確認しなければいけません。
 

会衆側の受け入れ。教役職は神様が会衆に賜る贈り物です。神様は信者たちに仕える者としてふさわしい教役者を選ばれます。使徒は、叙任される人が会衆によって十分受け入れられることを確認しなければいけません。初期の教会では、使徒たちは教会に、執事として叙任すべき七人の男性を選出するように要請しました(使徒6:1-6)。こんにち、この決定は、地元で教会の代表として責任を担っている会衆主任または地区主任に委ねられます。彼ら指導統轄者は、使徒に叙任を提案することによって、対象者の霊的賜物と能力を会衆が認識していることを確認します(あるいは認識できるであろうことを期待します)。
 

教役者自身が召命を受け入れる。神様によるご指名は、常に召命と密接に関係しています。神様はお選びになった人物を召命され、選びを受け入れるかまたは受け入れない機会をお与えになります。私たちは、この召命が使徒によって、あるいは必要であればその代理人によって、信徒に開示されることを確信します。しかし、これが信徒をご自分への奉仕にお召しになる唯一の方法ではないことは確かです。
 

神様からの召命は、それを受けた人々の個人的な歩みにおいても現れます。神様は、生活状況や個人的な経験を通じて、お召しになる人物の心に以下のものを目覚めさせます。
 

  • いただいた賜物や恩寵への感謝。
  • 神様と教会への愛。
  • この感謝と愛から生じる、神様と教会にお仕えしたいという純粋な願望。

 

指名と召命の確認
内なる召命を感じることと、使徒職からの召命とがつながることによって、信徒は神様によって職務に召されたことを確信できます。その後、召命を受けた人は、自らが指名され召された者であることを、以下の事柄を、自らの自由意志で宣言することによって、確認しなければいけません(二ペト1:10)。

 

  • 新使徒信条を信じること。
  • 与えられた嘱託の範囲内において職務を遂行すること。
  • 使徒職や他の教役者と一緒に働くこと。
  • 新使徒教会の定める規定や取り決めを遵守すること。
     

召命を受けた人たちが各々自分なりの決断を自由に行い、召されたことの意義をしっかり自覚することは大切です。召命を受けた人は、自らの義務の内容とその義務から生じる意味について、はっきり分かっていなければなりません。ですから意思決定に際しては、当人の配偶者も一緒に関わることが大切です。

 

叙任を受けた後は、選ばれたことをさらに強固なものとしなければいけません。そのためには、

 

  • 自らを聖別します。
  • 神様の御旨を悟り、御旨に従って行動するよう努めます。
  • 使徒団と他の教役者たちとの一致を深めます。
  • 賜物や能力を進化・成長させます。
  • 職務に必要な知見や能力を習得するために、修練を積みます。

 

教会の指導統轄のほうからは、教役者たちが職務面の指導や支援を受けられるようにしなければいけません。一方、信徒たちは、祈りによって教役者を支えるだけでなく、彼らに感謝し、彼らと連帯しなければいけません。


指名が成功を保証するものではない

神様による指名は、叙任によって実現されますが、教役者がその職務を遂行できない可能性を排除するものではありません。「しかしそれでも、神から召されたことに疑義を挟むことはあり得ない。」(教理要綱2.4.5→)。

 

ここで教理要綱は、完璧で過ちの皆無な神様と、神様の使命をいただいても不完全で過ちを犯しがちな人間とを、区別しています。

 

誤解を避けるために、私たちにとって「職務を遂行できない」とは何を意味するかを、まず明確にしましょう。ここでいう「できない」もしくは「失敗」とは、生じた結果を指すのではなく、教役者が神様の御旨をどのように実現させているかを指しています。

 

教役者が職務上の嘱託を実現できない要因は様々考えられます。

 

次の場合は、うまくいかない原因が教役者にある可能性があります。

 

  • 行動が教役職として不相応である。
  • 使徒団と一致していない。
  • 自分の振る舞いによって教会員からの信頼を得られない。
  • 自分の能力や利点を、教会の奉仕に活用しようとしない。

 

どの場合も、上からの祝福を自分から拒否しているため、働きが失敗に終わることになります。とはいえ、その人物の行動如何に関わらず、職務上の権限の範囲内で行ってきたこと(サクラメントの施与、罪の赦しの宣言、祝福の施与)に対して、疑義を差し挟む余地はありません。それらは有効のままですし、効果も発揮されます。

 

職遂行のできない原因が会衆にある場合もあります。人間の持つ弱さによって、会衆に属する人物がある教役者に対して不寛容な態度、あるいは敵対的な態度をとることがあります。するとその教役者はもはや会衆と一緒に自分の嘱託を果たせなくなります。このような形で職務が遂行できなくなる責任は、教役者ではなく、会衆にあります。

 

また、使徒も人間ですから不完全であり、間違いを犯すことがあります。もし兄弟姉妹が最善の努力を尽くしたにもかかわらず、その務めを果たせなかったことが判明したら、自分自身を疑う正直さが、使徒に求められます。おそらく、会衆に必要なことや教役者の能力を評価する際に誤りがあったのでしょう。必要であれば、使徒は、教役者を支援するために、能力に合うように職務を調整し、教役者とその家族が適切な牧会を受けられるようにしなければいけません。

 

外的状況によって、職務遂行が不可能になる場合があります。場合によっては、叙任を受けた後に起きた事態によって、職務に就くことが困難になります。例えば、以下のような場合です。
 

  • 本人の健康に問題が生じる、あるいは家庭や職場が大きく変化する。
  • 会衆の構成が大きく変わったことによって、要請項目が変わる。
  • 人口の増減により、会衆組織の変更を余儀なくされる。
  • こうした変化によって、神様の召命を疑問視せず、以下のような事柄を自らに問いかけなければいけません。
  • 現在神様は何をお求めになっているのか。
  • 神様の御旨に従って職務上の権限を行使できるようにするにはどうすべきか。
  • 職務上の嘱託を適応させるべきか。

 

職務を行ったからといって、救いが保証されるわけではなく、教役者が職務を遂行できなかったからといって、その教役者が救いへの道から排除されるわけでもありません。教役者の務めに変化はなく、それは救いの獲得を補佐することです。職務受諾を拒んだ人物を裁くことが使徒の務めではありません。要するに、職務遂行の困難な教役者にとって、特別な励ましと支援が必要であることを、使徒は忘れてはいけないのです。

 

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