4 贖いを必要としている人類
堕罪(だざい)以来、すべての人が罪人となりました。悪しき者に誘惑されたのです。誰一人として罪無しに生きることができません。皆一人ひとりが、罪から抜け出すことができないのです。このような状態から、人類が解放されることを ― 言い換えれば贖われることを ― 神は願っておられます。
堕罪とその結果: 問88→以降を参照
元々「贖い」を意味する語には、手かせや足かせを緩(ゆる)める行為に関連する意味がありました。イエスによる犠牲との関連で考えると、「贖い」は、悪しき者に拘束されている人類の解放を表しています。
悪の出所を合理的に解明したり説明したりすることは不可能です。
神に反発する破壊的な力です。
例えば、破壊、嘘、嫉妬、貪(むさぼ)りなど様々な形で現れます。そして最終的に、死に至らしめます。
はい。悪は位格としても現れます。「悪魔」「サタン」と呼ばれているものがそれです(マタ4:1参照; マコ1:13参照)。キリストの敵であるとして、「反キリスト」とも言われています。
神は、御自分に従順であるか不従順であるかについて、自身で決める機会を、人類にお与えになりました。人類は神に背を向け、神に逆らうようになった時に、悪が発生しました。神は、人が決めたことを阻止されなかったことから、悪は神がお創りになったものではなく、悪の発生を神がお許しになったと考えられます。
いいえ。常に存在するわけではありません。悪しき者の力は、イエス・キリストによって、すでに破滅させられました。これについて、ヨハネの手紙一3章8節には次のように書かれています。「罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。」
平和王国の時代の後、悪は神に反抗する最後の機会が与えられます。その後、完全に鎮圧させられます。新しい創造において、悪の存在する余地はありません。
平和の御国[平和王国]: 問575→以降を参照
223 聖書には、堕罪(だざい)についてどのように記録されていますか。
神はアダムとエバに、善悪を知る知識の木から取って食べてはならない、とお命じになりました。その木はエデンの園の真ん中に立っていました。また神は「食べると必ず死んでしまう」と仰せになり(創2:17)、その戒めを破った場合に生じる影響を彼らに自覚させられました。悪魔は最初の人類を感化して、神の言われたことに疑念を持たせました。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」(創3:4, 5)。アダムとエバは誘惑に屈してしまいました。二人は神の戒めに従わず、戒めに背(そむ)き、その木の実を取って食べてしまいました。この神への不従順を、堕罪といいます。
堕罪は、人類の生き方に、取り返しのつかない変化をもたらしました。神を恐れるようになり、神から身を隠しました。人間関係で苦しむようになりました。他の被造物との関係にも苦しむことになりました。
この時以来、人の生涯は苦役(くえき)そのものとなりました ― そして制限されたものとなりました。「お前がそこから取られた土に。塵(ちり)にすぎないお前は塵に返る」(創3:19)。
堕罪によって生じたもう一つの影響は、人類が神と離れてしまったことです。神はアダムとエバを、エデンの園から追放されたのです (創3:23-24参照)。
「主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣(つるぎ)の炎を置かれた。」 創3: 23-24
225 堕落(だらく)した人類に対して、神はどのような立場をお取りになりましたか。
人類が罪に堕(お)ちた後も、神の人類への愛は維持され、損なわれることはありませんでした。人類が不従順であっても、その人類を世話されました。アダムとエバを気遣われ、彼らに皮の着物を作って、彼らに着せられました(創3:21参照)。
堕落した人類に対する神の愛は、イエス・キリストをお遣わしになるという究極の方法で示され、イエス・キリストは罪に勝利されました。「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです」(ロマ5:18-19)。
堕罪以後、人類の罪は急激に増加しました。まず、カインが、神の警告にも関わらず、弟のアベルを殺害しました(創4:6-8参照)。
時代の経過に連れて、人類はますます罪を犯すようになりました。神は人類を罰する決断を下し、大洪水をもたらされました。神の目に適(かな)う恵みを見出したのは、ノアただ一人でした。ノアは、神の戒めに従い、箱舟を造りました。そしてそこに乗った彼とその家族が救われました(創6:5-7, 17-18参照)。
裁きが下った後も、人類は強情にも神に不従順でした。その一例として、聖書にはバベルの塔について書かれています。塔を造ろうとした人々の傲慢(ごうまん)さと名声欲ゆえの行為は、神によって失敗に終わりました。神は人々の言語を混乱させ、互いの言っていることをわからなくさせられました(創11:1-8参照)。
「カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。」 創4: 8
はい。堕罪以降、全人類が罪の力に隷属(れいぞく)することとなりました。罪は神からの別離(べつり)をもたらします。言い換えれば、霊の死です。「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」(ロマ5:12)。罪を犯しやすい性質(悪欲)は、人の内面に存在し続けています。自分で罪の無い状態に立ち返ることはできないのです。
霊の死: 問89→以降を参照
罪を犯しやすい性質(世俗欲): 人類は堕罪によって、罪に陥りやすい傾向を内面に抱えるようになりました。これが『世俗欲』です。罪深い考えや行為の原因はこの世俗欲です。罪は赦されても、罪を犯しやすい性質に変わりはありません。
228 堕罪(だざい)によって、被造物にも影響をもたらしましたか。
はい。人は罪に堕(お)ちたことによって、被造物も影響を受けました。大地は呪(のろ)われました。「お前は[…]取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に」(創3:17, 18参照)。この時以来、完全であった被造物は損失を被っています。被造物に及んだ呪いも、解放しなければなりません。
「被造物は虚無(きょむ)に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属(れいぞく)から解放され[…]るからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」 ロマ8: 20-22
罪とは、神の御旨や神の本質に反するすべての事物をいいます。神の御旨や本質に反する言動や思想すべてが罪であります。意図的に善行を放棄することも罪です(ヤコ4:17参照)。人は自分が犯している一つ一つの罪に対して、その罪責を負います。
罪は絶対的です。相対化することはできません。罪は神との分離をもたらします。
それに対して、犯した罪に一人ひとりが負う罪責は、神の正義と憐れみによって、それぞれの事案によって、その程度の判断に差異が生じることがあります。
犯した罪に対して負う罪責の程度について: 罪に伴う罪責の程度は、判断が明確でなければなりません。例えば、ある人の窃盗行為が、飢餓によるものか、あるいは贅沢を求めるためのものか、ということです。どちらの場合も罪は犯しています。つまり第七の戒めに違反しているのです。しかし、この窃盗を犯したことによる罪責の程度は異なる可能性があります。神はその万能性によって、罪による罪責がどの程度のものかを、常に公平に判断されます。例えば、社会構造、貧困の状態、病癖のもたらす影響や状況も、判断の材料になるでしょう。
何が罪なのかは、神がお決めになります。人が決めることはできません。
何が罪なのか ― 言い換えれば、何が神の御旨に反しているのか ― は、聖書によってわかります。聖書には次のようなことが書かれています:
- 十戒の違反(出20:20参照)、
- 神に誓ったことを破る(申23:22参照)、
- キリストへの信仰を拒否すること(ヨハ16:9参照)、
- むやみに金品を惜しむ、妬(ねた)む、またはそれに類する姿勢。
このことは、聖霊によって鼓舞(こぶ)される説教の中でも明らかにされます。
234 罪深い人類のために、神はどのような賜物を用意しておられますか。
神は人類に、良心、理性、信仰心を備えて下さいました。こうした賜物を活用するならば、神がお示しになる配慮に、正しく応えることができます。
235 良心に目覚め、理性に訴え、信仰心を抱(いだ)くためには、どうすべきですか。
良心、理性、信仰を、常にイエス・キリストと結び付けることが必要です。
良心によって、神の御旨に適(かな)った判断ができます。良心は善悪を区別します。さらに、良心が理性と信仰に支配されているならば、自(みずか)らの行為による神や隣人への罪責(ざいせき)を負っているかどうかがわかります。