10 未来の事柄に関する教義
549 未来に起こる出来事について、私たちはどのようにして知ることができますか。
未来に起こる出来事に関する教義(終末論)は、聖書に基づいています。福音書や使徒の手紙には、救済史における未来について、数多く記述されています。ヨハネの黙示録には、極めて重要な事柄も書かれております。未来におけるこうした重要な事柄は、比喩的(ひゆてき)な表現を用いて書かれております。
終末論:問40→の解説を参照
550 新使徒教会の信徒にとって、未来におけるどのような出来事が、信仰の目標ですか。
イエス・キリストはまたおいでになる‐これが福音の結論です。イエスが天に昇られて以来、使徒たちは主の再臨を宣教しております。この再臨の時に、主に受け入れていただくことが、新使徒教会の信徒が目指す信仰の目標です。
イエス・キリスト御自身が使徒たちに約束されました。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハ14:3)。
この約束は、イエス御自身が天に昇られる時に、天使たちによって、さらに強められました。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:11)。
552 キリストが再びおいでになる時期を正確に知っている人は誰ですか。
イエス・キリストの再臨の時期については、天使も、人も、誰にもわかりません。三位一体なる神だけが御存知です。
553 誰もキリスト再臨の時期を知らないということから、どういうことがいえますか。
キリスト再臨の時期は誰にも分からないため、信徒は日々これに備えておく必要があります。御子は次のように注意を促しておられます。「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」(マタ24:42)。信仰面において目を覚まし、再臨を絶えず待ち続けることの必要性について、イエスはたとえ話の中でもわかりやすく述べておられます。
キリストの再臨に関するたとえ話:問157→を参照
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。[…]ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。」愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』[…]愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て[…]だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
マタ25:1‐13;さらにマタ24:43‐51及び25:14‐30も参照
554 初代の使徒たちは、キリスト再臨の約束をどのように扱っていましたか。
キリスト再臨の約束は、初代の使徒たちによる宣教において、大きな役割を果たしました。彼らにとってキリストの再臨は、イエスによる犠牲の死とイエスの復活と並んで、最も大切な信仰要目の一つでした。当時の使徒たちは自分たちの生涯においてイエスがおいでになることを確信していました。「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます」(一コリ15:51)。
使徒パウロはコリントの信徒に「マラナ・タ」と述べています。これは初代キリスト者たちが祈る時の呼びかけの言葉で「主よ、来てください」という意味です(一コリ16:22参照)。
ヨハネの黙示録の中でも「見よ、わたしはすぐに来る」という主の言葉を通じて、キリスト再臨に絶えず備えるよう呼びかけています。(黙3:11;22:7, 12, 20)。
555 キリスト再臨の約束は、私たちにとってどのような意味がありますか。
イエス・キリストは再びおいでになり、花嫁を御許に引き上げられます。このことは、福音に書かれている、確実に実現する重要な出来事の一つであります。イエス御自身が再臨を約束されたのです(ヨハ14:3参照)。
花嫁の会衆:問562→以降を参照
556 キリスト再臨の約束が近く実現することを、私たちが信じるのはなぜですか。
使徒職が再興された事実は、キリスト再臨が近いことを示しています。主の約束の実現を願い望むことは、こんにちの新使徒教会の信仰における核心であると同時に、キリスト再臨と携挙(けいきょ)に与(あずか)りたいという一人ひとりの希望でもあります。
変貌と携挙:問559→以降を参照
使徒は、御言葉やサクラメントを通じて、信徒にキリスト再臨への備えを施(ほどこ)します。信徒は受けた備えに適(かな)った生活をします。
558 キリストの再臨について、パウロが書いた手紙の中ではどのように書かれていますか。
テサロニケの信徒への手紙一4章15‐17節には次のように書かれています。「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」
コリントの信徒への手紙一15章51‐52節には次のように書かれています。「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」
フィリピの信徒への手紙3章20‐21節には次のように書かれています。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」
559 キリストが再びおいでになった時、どのようなことが起こりますか。
使徒パウロの記述をまとめると、次のようなことが起こります。
キリストが再臨されると、まずキリストによって死んだ者たちが、最初に復活して朽(く)ちない体が与えられます。この世にいる人たちの中でキリストの再臨に備えていた人たちは、肉体の死を経験することなく、変貌します。
故人もこの世の人たちも、栄光の体を与えられます。復活されたキリストの体と似た体です。こうして、イエス・キリストの御許に引き上げられ、三位一体の神と永遠の交わりに入るのです。
これらの出来事は、ヨハネの黙示録20章5‐6節に書かれている第一の復活の一部です。
『朽ちない』とは、不滅であること、腐食しないことを意味します。復活の体は、今の私たちの体と異なり、腐敗することがありません。
560 信徒が肉体的に死ぬ必要がないという希望が持てるのはなぜですか。
信徒が肉体の死を体験する必要がないことを希望できるのは、使徒パウロの言葉に基づいています。「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。[…]この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです」(二コリ5:2, 4‐5)。
この中で使徒パウロが述べている「住みか」とは、栄光の体のことです。栄光の体は死者から復活する者たちだけでなく、キリストが再びおいでになった時に変貌する者たちにも与えられます。「住みかを上に着る」という表現は、死を体験することなく新しい体に与ることを意味します。ここでいう「脱ぎ捨てる」とは死を表しています。
561 キリストが再びおいでになった時に天に引き上げられるのは誰ですか。
水と御霊とによる再生を果たし、イエス・キリストを信じ、且(か)つイエス・キリストに従う者たちには、まず、キリストが再びおいでになった時に携挙(けいきょ)に与(あずか)ることを約束されています。この者たちは「花嫁の会衆」または「男の子」(黙12:5)とも呼ばれています。
神がこの者たち以外にも携挙に与らせて下さるかどうかは、人が判断することではなく、神の御判断によります。
水と御霊とによる再生:問528→を参照
「神の御許(みもと)に引き上げられること」を『携挙』と言いますが、これは、キリストが再臨された時に人類が神と直接交わりができるようになることを意味します。
イエス・キリストは使徒たちに、御自分が再びおいでになった時にキリストの教会が御自分と一つになれるように準備をさせるという任務を与えられました。このことについて使徒パウロは次のように書いています。「あなたがたに対して、神が抱(いだ)いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです」(二コリ11:2)。ここで述べている「純潔な処女」とは、ヨハネの黙示録19章7節に書かれている「花嫁」を指しています。誰がそのような者たちとなりイエスと一つになるのかについては、キリストが再臨された時にはじめてわかります。
はい。中でも最も際立った特徴は、彼らが毎日キリストの再臨を待ち続け「主イエスよ、来てください」(黙22:17, 20)と祈りながら、信念を固く持ち続けていることです。
564 花嫁の会衆が持つ特徴として、聖書の中で他に挙げているものはありますか。
はい。花嫁の会衆が持つ他の特徴については、ヨハネの黙示録14章1‐5節に書かれています。ここでは花嫁の会衆を表すのに、「十四万四千」という比喩(ひゆ)表現が使われています。これは数として理解すべきではなく、象徴です。この表現はイスラエル十二部族に由来したものであり、次のような比喩を用いて表現されています。「また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた[…]。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽(いつわ)りがなく、とがめられるところのない者たちである。」