13 新使徒教会の信徒とその信仰生活

715 祈りとは何ですか。


祈りとは、人が神と接触するために、神が与えて下さった機会です。信徒は祈りを通じて、神が臨在され、耳を傾け、応えて下さるお方であることを悟ります。ですから信徒は偉大且つ慈愛深い神の御前に、謙虚に頭(こうべ)を垂(た)れます。聖霊は、適切な祈りができるように鼓舞(こぶ)して下さいます。

716 祈ることは必要ですか。


祈りはよく「魂の呼吸」と言われます。つまり、信徒にとって祈りは必要だということです。


祈りを伴わない信仰は、生きた信仰ではありません。信仰を伴わない祈りは、本当の祈りではありません。

717 祈りについて、旧約聖書にはどのように書かれていますか。


神への崇拝については、旧約聖書の中に多くの記述があります。その代表例の一つがモーセの歌です。「わたしは主の御名を唱える。御力をわたしたちの神に帰せよ。主は岩、その御業は完全で/その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく/正しくてまっすぐな方」(申32:3-4)。


詩編が最も重きを置いているのは、祈りを通じて神に感謝を捧げ、賛美し、栄光を称(たた)えることです。旧約聖書には、神による助けや支えを嘆願する祈りも、多く記述されています。

718 祈りについて、イエスはどのようなことを教えておられますか。


山上の説教[垂訓]で、イエスは祈り方について大切なことを教えておられます(マタ6:5-8参照)。祈っていることを表面的に誇示(こじ)したり、長々と言葉を並べ立てるような祈り方はしません。神を「天の父よ」と呼びかけることもあります。心を込めて祈るべきです。


イエスは、御自分の再臨についてこう諭(さと)されました。「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21:36)。

719 イエスが送られた祈りの生活について、聖書にはどのように書かれていますか。


イエスはよく、人目を避けて祈られました。ルカによる福音書によれば、イエスは、決定的なことが起きる、または決定的なことをなさる前に、必ず祈られました。つまり、

 

  • 聖霊が御自身に降(くだ)る前に、祈られました(ルカ3:21-22参照)。
  • 十二弟子をお選びになる前に、祈られました(ルカ6:12参照)。
  • 天の父が、この世の者たちと陰府(よみ)の者たちのいる前で、イエスを変貌させられる時に、祈られました(ルカ9:28-36参照)。
  • 苦しみを受けられる前に、祈られました(ルカ22:41-46参照)。
  • 十字架上で死なれる前に、祈られました(ルカ23:46参照)。

 

イエスは、祈りを捧げる前に、必ず感謝を捧げられました(ヨハ11:41-42参照)。このことは注目すべきです。

720 「執り成しの祈り」とは何ですか。


「執り成しの祈り」は、ヨハネによる福音書17章に記載されています。これは、イエスが受難の前に捧げられた高貴な祈りです。イエスは、使徒たちや、やがて生まれることになる会衆のために、そして私たちのために、こう祈って下さったのです。「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、…すべての人を一つにしてください。…」(ヨハ17:20-21)。

721 初期キリスト教徒たちによる祈りについて、どのようなことが知られていますか。


初期のキリスト教徒は、皆が一緒になって祈りました。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒1:14)。


記録によれば、マティアを使徒に選んだり七名の執事を叙任したりといった、重要なことが行われた時も、集中して祈りが捧げられていました。


また危険な状況にある時も、使徒たちは会衆と一緒に祈りました(使徒12:1-12参照)。

 

執事: 問470→を参照

「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」使徒6:4

722 どのように祈るべきですか。


表面上の形式において義務的なことはありませんが、祈りに集中するためには、目を閉じ、手を組み、膝をつくことが望ましいです。そうすることによって、日常生活のわずらわしさから解放され、神の御前で、謙虚な姿勢で、落ち着いて、頭(こうべ)を垂(た)れ、お願い事をします。


新使徒教会員は、一日の始めと終わりに、祈りを捧げます。食事の前にもお祈りをします。神が近くにおられることを実感したい時や、神の助けを求めたい時は、一日の中で何度も神にお願いできます。


家庭内では、保護者が子供と一緒に祈ることによって、子供が祈りの生活を送るように教えます。

723 祈る内容はどのようなことですか。


内容は、賛美、崇拝、感謝、嘆願、執り成しです。

724 賛美と崇拝を行うのはなぜですか。


神を賛美し、崇拝するのは、神が崇高(すうこう)なお方であると認識しているからです。「わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏(ふ)し拝もう」(詩95:6)。

725 祈る時、どのようなことに感謝しますか。


祈る時は、神の慈しみによっていただいてきたすべての物事に感謝を捧げます。御言葉、恵み、サクラメントの他にも、この世の賜物である衣食住にも感謝します。

726 神の御前では、どのようなことをお願いしますか。


願い事をする時は、すべての懸念を、神に捧げます。懸念とは、信仰の維持や、天使による御守護、日常生活における支援に関することなどです。中でも、キリスト再臨の時を早めていただき、その時に恵みによって自分たちを受け入れて下さるようにお願いすることが、一番大切です。

727 他人を執り成すのはなぜですか。


執り成しは、隣人を愛していることになるからです。家族や会衆に限らず、神の助けを必要としているすべての者たちを執り成します。この世にいる人たちも、陰府にいる者たちも執り成します。

728 祈りには、どのような効果がありますか。


祈ることによって、神への信仰や信頼感が強まり、神によって安心できることを確信します。祈った後、自分の気にかかっているすべてのことは、神の御手に委ねられているはずです。「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計ら[って下さる]」(詩37:5)。

729 「自発的に供え物や犠牲を捧げる」とは、私たちにとってどういう意味ですか。


一般的に「自発的に供え物や犠牲を捧げる」とは、他者の利益のために自分の適性や技能を活用することや、場合によっては他者の利益を自分の利益より優先させることを言います。

730 「供え物」「犠牲」は、一般的にどういう意味ですか。


共通語で、神に供えられる捧げ物は「犠牲」です。人に奉仕する行為も、犠牲と考えることができます。宗教上の目的で寄付される献金も、宗教的な意味でいう「犠牲」です。

731 私たちにとって、犠牲とは何ですか。

 


私たちにとって「犠牲」とは、神による奉仕や御業に資する能力、時間、取り組みです。


神の御業を進めるために何かを断念する努力も、犠牲の一つです。


金銭であれ物であれ、具体的な物(犠牲)を捧げることで、神への感謝と愛を表そうと思う信徒もおります。マラキ書3章10節には、収入のうち主の家に「十分の一の献げ物」をしなさい、と書かれています。「十分の一の献げ物」は、教会員が供え物しようとする場合の、一つの目安となるでしょう。

732 旧約において、犠牲を捧げることは、どのような意義がありましたか。


旧約の時代、犠牲は非常に重要でした。人々は犠牲を捧げることによって、感謝を表したり、神の罰を逃れたり、和解を実現させたりしようとしました。


犠牲は様々な形で捧げられました。モーセの律法では、犠牲を捧げる礼拝を行う際の詳細を明確に指示しています(レビ1-7章参照)。


旧約: 問175→の解説を参照 / モーセの律法: 問272→以降を参照