12 礼拝、祝福、牧会
牧会の意義は、キリストの活動に見出すことができます。キリストは、人を分け隔(へだ)てすることなく、罪人に向き合い、御自身の愛が感じられるようにされました。耳を傾け、助け、慰め、助言を与え、諭(さと)し、力づけ、祈り、教えられました。
689 新使徒教会の教役者は、牧会の義務をどのように遂行しますか。
教役者が牧会を行う目的は、信徒を支援し、キリストの再臨に備えさせることであります。教役者は、教会員の人生における様々な状況を、彼らと共有します。教会員のために祈ることも、その一つです。
すべての新使徒教会員には、一人ひとりに牧会が提供されます。基本的には司祭職の家庭訪問という形式をとりますが、執事が牧会訪問をすることもあります。
神とその御業への愛を深め、信仰生活を促進し、神による救いの働きへの理解を深めるための取り組みをすることが、牧会の主な目的です。この目的を達成するためには、信仰について話し合うことが基本です。一緒に祈ることも、牧会訪問の一つです。
新使徒教会の信徒が病気の場合は、家庭または病院へのお見舞いを通じて、特別な配慮を行います。担当する教役者は、その人の信仰を強め、その人を慰め、一緒に祈り、可能ならば一緒に聖餐を行います。
牧会の手本となるのが、イエス・キリストの活動です。イエス・キリストはこうした訪問を繰り返しなさっていました。例えばマリア、マルタ、ラザロの家や、徴税人のザアカイの家を訪ねておられます。「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ19:9)。
はい、できます。告白は、教役者の前で、自らの罪とそれによる責任を認めるということです。
罪の赦しを受けるために、罪を告白する必要はありませんが、罪の責任の重さを感じていて、赦しに与っても不安な場合は、告白する機会が与えられます。告白は、使徒の前で行われます。緊急で使徒が来られない場合は、例外措置として、司祭職が告白を受けて、使徒の委任のもと、イエス・キリストの御名によって、罪の赦しを宣言します。
広義に捉えると、牧会は会衆全体の任務でもあります。実生活における援助も関係します。
これについてはイエスの言われたことを当てはめることができます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢(ろう)にいたときに訪ねてくれたからだ。[…]わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタ25:35-36,40)。
子供への牧会は、基本的に保護者の任務です。保護者は、福音の基本的価値を子供に伝えます。神を愛し隣人を愛することを教え、祈りの生活において模範となり、供え物をする際の忠実な姿勢において模範となることも、その一部です。
そうした責任を負う保護者を支援するために、教会で教師の任を受けている教役者や兄弟姉妹がおります。これにより、しっかりした信念を持ち自立した新使徒教会員に成長することができます。
教会教育の目的は、青少年に宗旨を習熟させ、神に対して自分で責任を負える生活を送るように教えることです。このことはイエス・キリストの福音によるものであります。加えて教会教育は、共同体という意識と、成長期にある子供たちの一員という感覚を育みます。
教育内容については、担当する児童生徒の年齢や発達段階に応じて調整されます。
未就学児向け日曜学校の目的は、神とその働きを未就学児に合ったレベルで教えることであります。これにより、未就学の時から神との信頼関係を築くことができます。未就学児向け日曜学校の基本目的は、知識の習得ではなく、安心感を与え、子供たちの心に、信じることの喜びを体得させることです。
小学校に通(かよ)う年齢になると、日曜学校に出席します。日曜学校の目的は以下の通りです:
- 神の子たちとの交わりや礼拝において喜びを喚起したり増し加えたりすること
- 聖書物語を通じて、年齢に合った方法で、神の働きを理解させること
- 神からいただいた約束をより強く信じること
- 礼拝がもたらす効果、サクラメントの意味、祝福行為、教会の祝祭日を理解させること。
日曜学校に加えて、様々な規模で子供礼拝を実施することがあります。司祭職が、子供が理解できるような方法で、神の言葉を伝えます。子供礼拝を行うことで、神とその御業を子供が理解できるようにします。子供が自分の経験に基づいて理解できることは、彼らの人生において信仰の基礎となります。
子供礼拝は、子供たちの欲求に合致します。理解され、安心でき、愛されていることを実感します。子供たちの中だけで礼拝に参加して、その礼拝で一緒に聖餐を受けられることは、子供たちにとって特別な体験です。
宗教教育で子供たちは、神について人が経験した事柄から学びます。つまり救済史を、子供たちの信仰生活と関連させて議論します。信仰の項目を深め、知識の促進を図り、神による救いの御計画における相互の結びつきを解説します。こうして永久に価値あるものを子供に与えます。
さらに宗教教育によって、子供たちが自分の信仰を自由に告白できるようにする必要があります。
救いの御計画、救済史: 問243→以降を参照
堅信礼教育では、青少年が堅信礼を受けるための準備をします。堅信礼を受ける際に志願者は、会衆の前で神に誓約をし、信仰上の成年に達したキリスト教徒として、自分自身の信仰生活に責任を持ちます。堅信礼教育の内容は、新使徒信条、主の祈り、十戒が中心です。
青年は、その年齢に適した配慮や支援を受けます。青年リーダーを活用して、人生における様々な状況や信仰の問題について個人的に会って話を交わすなどして、青年会員の支援ができます。
青年のための牧会には、強い信仰を持ち責任感のある人格に成長させる働きがあります。青年は、キリスト教の信仰が持つ価値に深く根差し、その価値に刺激を受けることが必要です。こうして、自分の人生で物事を決断する際のしっかりとした基礎が得られます。青年は周囲において自分の信仰を実践し、信仰を告白し、信仰に立脚することを促(うなが)されます。さらに、自分から会衆に関わろうとする姿勢が育まれます。
青年のための牧会には、青年同士の交わりを促進するという重要な目的もあります。
青年向けの特別礼拝があります。この礼拝はふつう、教区単位で、青年のための週末が設定される場合は地域合同で行われます。
702 末期患者や臨終を迎えようとしている人の牧会は、どのように行われますか。
末期患者や臨終を迎えようとしている人については、特別な配慮が必要です。
信仰のある人でも、死に向かう恐怖、死に対する恐怖はあります。この恐怖を、信仰が欠けている証拠だなどと捉(とら)えることは、決してあってはなりません。教役者は、死に向かおうとする人が困難な道を歩み始める中での、あらゆる恐怖や欲求を受け止めるべきです。
神と共にある生命を希望し、その希望から来る慰めを生かし続けることが大切です。
また、教役者が罪の赦しと、天に昇られた方の平安を宣言し、一緒に聖餐を執り行うことも、臨終を迎えようとしている人への支援になります。そうすることで慰めを得、力を受けることができ、人生における最後の段階に進みやすくなるのです。
すでに陰府(よみ)の領域に入った人たちと再び一つに結ばれるという確信を持たせることも、この世と別れる際の支えとなります。
703 臨終を迎えようとする人の親類縁者には、どのような牧会が行われますか。
死を迎えようとする人の親類縁者に、牧会を行うことも大切です。愛する人を失うことになるということがわかり始めるこの時期においては、自分たちが取り残されてしまうわけではないのだという安心感を得る必要があります。一緒に祈ることは、このような状況に置かれる彼らにとって、特に力となります。
再び一つに結ばれるのだという確信を持つことは、別れという重荷を負う助けとなります。死を迎えようとする人のためにできることがあるのだということを、家族に気づかせることも、助けとなります。
深い悲しみを受け止める必要があります。大切なことは、遺族との接触を求め、哀悼(あいとう)の意を表し、遺族と一緒に祈ることです。遺族に、心から哀悼の思いを告げることが大切です。遺族に不適切なことを口にしてしまうのではないかという心配があっても、彼らに手を差し伸べることが重要なのです。「泣く人と共に泣き、/悲しむ人と共に悲しめ」(シラ7:34)。
悲しみと向き合う時に、イエス・キリストも苦しまれて死なれたことを指摘するのは助力になるかもしれません。イエス・キリストが復活されたことを足掛かりとして、死者も復活するのです。キリストが死に勝利されたことに伴い、死者も死に勝利するのです(ロマ14:7-9参照)。
遺族を支援することによって、彼らが抱(いだ)く喪失感について話してもらったり気持ちを伝えてもらったりすることができます。遺族は、悲しみ、恐れ、怒り、神への憤り、罪悪感を率直に教役者に話すことができます
。
故人と楽しい体験をしたことなどを思い出すことによって、悲しみと向き合えることがあります。
牧会を通じて遺族に慰めを与えるためには、愛する者が亡くなってから、長い年月がかかるかもしれません。
新使徒教会では、クリスマス、棕櫚(しゅろ)の聖日、聖金曜日、復活祭[イースター]、昇天日、ペンテコステ[五旬祭]、感謝祭が祝祭日です。
クリスマスはイエス・キリストの降誕を記念します。クリスマスは、救済史における主な出来事の一つです。神の御子が初めておいでになったことを記念することによって、再びおいでになる日が近いことをより強く信じます。
救済史: 問243→以降を参照
聖金曜日は、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)となり、犠牲の死を遂げられたことを振り返る日です。神の御子イエスは、御自分が犠牲の死を遂げられたことによって、サタンと罪とによる力を砕(くだ)かれたのです。
「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」ヨハ19:30
昇天日は、イエス・キリストが復活されてから四十日後に使徒たちの集まっている前で天に昇られたことを記念する日です。「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」使徒たちは二人の天使を通じて次のような約束をいただきました。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:3-11)。
712 ペンテコステ<五旬祭>にはどのような意義がありますか。
ペンテコステ ― イエスが復活されてから五十日後 ― に、聖霊が注がれました。またこの日は「キリスト教会の創立記念日」とも言えます。使徒ペトロは、聖霊が注がれた後、キリストが十字架に磔(はりつけ)にされ、復活され、天に昇られたことを中心とした説教を、力強く行いました。
さらに、ペンテコステは、教会に聖霊がおられ教会で活動しておられることを祝う日でもあります。
収穫感謝祭は、創造主である神に感謝を捧げる祝祭の日です。
年に一度、収穫感謝祭に当たる日曜日に礼拝を行います。この礼拝では、神が私たち人類のために与えて下さるあらゆる良いものに感謝の意を表すことに、心を注ぎます。
神への感謝として、特別な捧げものをします。「告白をいけにえとしてささげる人は/わたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人に/わたしは神の救いを示そう」(詩50:23)。
714 教会の祝祭日に行われる礼拝は、どのような形式で行われますか。
祝祭日に行われる礼拝は、普通、聖餐が行われる他の礼拝と同様に行われます。
それぞれの日に関する歴史的出来事を中心とした聖書朗読を行い、その出来事が人類の救いにもたらす意義に焦点を当てます。
救い: 問243→以降を参照