3.4.6.4 インマヌエル ― 神の僕 ― ダビデの子

聖書では他にも、インマヌエル、主の僕(しもべ)、ダビデの子といった権威者の称号をイエスにつけている。

 

「インマヌエルעִמָּנוּאֵל」とはヘブライ語で「神は我らと共におられる」という意味である。マタイによる福音書1章22-23節では、イエスについて、イザヤ書7章14節に書かれている預言の言葉を引用している。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」このように、イエス・キリストによって、神を直接目にしたり体験したりすることができたのである。

 

旧約聖書の中で用いられている「主の僕」という表現は、族長、預言者、使徒といった、救いの歴史において傑出(けっしゅつ)した人物を指す。イザヤが言及した主の僕が、イエス・キリストによって成就した(イザ42:1)。

 

新約聖書に出てくる「ダビデの子」という表現は、よく用いられていた呼称である。マタイによる福音書の冒頭には「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあり(マタ1:1)、ダビデの子<子孫>がイエス・キリストであることを明確に述べている。つまり、ダビデに与えられた約束が神の御子によって成就したということである。

まとめ

 「権威者の称号」とは、神の御子が備える様々な特質を表す名称もしくは呼称である。 (3.4.6→)

 

ナザレのイエスが「メシア」であるということは、新約聖書ではっきりと告白されている。 (3.4.6.1→)

 

「主」とは、イエス・キリストが神としての権威を備えておられることを示す呼称である。 (3.4.6.2→)

 

「人の子」とは、人種の一部ではなく、天に属すお方であることを示す名称である。主自らが御自身を人の子とされたのである。 (3.4.6.3→)

 

イエスを表す権威の称号としては、他にも「インマヌエル」(神は我らと共におられる)、「神の僕」、「ダビデの子」というものがある。 (3.4.6.4→)