8.1.3.2 原罪を洗い清める

「原罪」  [2] とは人が神と離ればなれになっている状態、つまり堕罪が引き起こした神と人との疎遠な関係を指す。人類は自らの不従順によって、自分たちを創造されたお方との永遠且つ直接の交わりを不可能にしたのである。

 

堕罪以来、罪深い状態と神との疎遠な状態が、全人類に重くのしかかっている(創3:23-24;詩51:5<新共同訳7節>;ロマ5:18-19)。これはつまり、人類は皆、最初から ― つまり行動したり考えたりする前から ― 罪人だということである。具体的に罪を犯す以前から罪人なのである。しかし洗礼によるならば、原罪は洗い清められる。洗い清めるとは、神と恒久的な距離が生じたり関係が疎遠になったりしている状態を、神御自身が解決して下さることを比喩的 (ひゆてき) に表現したものである。つまり神は、人が御自身との交わりを得る機会もさることながら、御自身と人との密接な関係をもたらして下さるということである。しかし洗礼を受けた後も、人が罪を犯しやすい傾向に変わりはない。罪に堕ちた結果は思いのほか根深いのである。

[2]  原罪に関する教理は、アウグスティヌスが聖書の証しに基づいて確立したもので、原罪の起源はアダムとエバであるとしている。この原罪という教理に関する根拠となっている聖書の記述は、詩編51編5節<新共同訳7節>及びローマの信徒への手紙5章12節である。

まとめ

「原罪」とは神から離れている状態、つまり神と疎遠になっている状態をいう。これは堕罪の結果生じたものである。堕罪以来、根本的に罪深い状態と神と疎遠になっている状態が、全人類に重くのしかかっている。 (8.1.3.2→)

 

洗礼によって原罪は洗い清められ、神との疎遠な関係を打開することができる。とはいえ罪を犯しやすい傾向に変わりはない。 (8.1.3.2→)