2023年11月1日 0:00:00 JST

これは、他の多くの門に通じる道を示してくれる門のことです。主使徒は最近、よく知られた聖書の一節に新たな光を当て、おなじみのたとえをさらに詳しく説明してくださいました。

 

 

「私は門である。私を通って入る者は救われ、また出入りして牧草を見つける。」ヨハネによる福音書10章9節は、2023年8月11日に日本の東京都多摩市で行われた礼拝→で用いられた聖句です。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒はまず、この聖句の言葉を一つ一つ解説しました。

 

 

「門」について詳しく

救いに至る門。イエス様はご自身のことを「救いに至る門である」と言っておられます。この主が言われたことは非常に大切です。私たちキリスト者の信仰の土台を成すものだからです。救われるとは、神様の御国に入って、神様と永遠に交わりを持てるようになることをいいます。その機会は一度しかありません。

 

入る。キリストを信じてキリストに従う人たちが、神様と交わりを持てます。神様が御子として地上においでになったことを信じなければいけません。御子による犠牲の業があったことを信じなければいけません。御子の教えを信じなければいけません。これが「福音によって生きる」ということなのです。

 

出入りする。これはキリスト者の自由を表しています。水と御霊によって再び生まれた人は皆、神様の御国に入る機会が与えられます。いかなる人も、いかなる力もいかなる霊も、それを阻止することはできません。つまり「自分が救われるかどうかは、完全に自分次第である」ということなのです。

 

牧草を見つける。お金持ちになって幸せに暮らすにはどうすれば良いか、賢くなるにはどうすれば良いか、成功を収めるにはどうすれば良いかを指南するものが数多く出回っています。こうしたことはイエス様や教会と一切関係ありません。しかしもし皆さんが神様の御国に入りたいなら、必要な養分を得る方法は一つだけです。それは福音を宣べ伝え、聖餐に参加することです。

 

 

門の後にあるいくつかの門

イエス・キリストが救いに至る門であることによって、他の門が私たちに開かれます。

 

恵みという門。私たちが神様の御国に入る方法は、イエス様が恵みをくださることしかありません。大切なのは「イエス様が私たちをどうお考えなのか」ということしかありません。イエス様が考慮なさるのは、私たちの愛、私たちの真面目さ、救いに対する私たちの渇望なのです。

 

支援という門。何か問題が生じれば、皆さんも私も神様に助けを求めます。しかし門はイエス・キリストであるということを考慮しましょう。イエス様の支援とは、なんといっても「私たちがいかなる困難に遭っても神様の御国に入れるようにしてくださる」ということなのです。

 

祈りという門。イエス様は地上での務めをなさっている時、逃れようのない場面に何度が遭遇されました。しかし祈りという門がその都度イエス様の助けとなりました。イエス様は祈られたことによって、務めを維持するのに必要な助け、励まし、知恵を受けることができたのです。

 

従順という門。こんにちこの世界には、困難な状況から抜け出すための門がたくさん用意されています。しかしこうした門を通ると、私たちの救いが危機にさらされます。神様の戒めを守らなくような門は出入りしたくありません。どのようなことを経験しようと、戒めに従順という門を出入りしましょう。

 

信頼という門。多くの状況――難しい状況――に遭います。それを解決するには、自分にとって理解不可能な神様の行為を、ただ受け入れることしかありません。神様のことが理解できなくても、神様を信頼し続けるしかありません。

 

キリストの愛という門。赦しという門を活用しましょう。赦すことに間違いは決してありません。イエス・キリストという門を用いて、悪に対して悪で仕返しするのではなく、善を行いましょう。隣人を気遣い、救われるのは私たちだけでないということを忘れないようにしましょう。願わくは、他の人々も私たちと一緒に救われてほしいのです。

 

主使徒は説教を次のように結びました。「イエス・キリストは救いに至る門です。悪から救い出し、栄養と恵みをくださいます。試練を受けている信徒は、イエス様を手本とします。」

 

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1226433

nac.today: New Apostolic Church International

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