7 教役職<教職>
411 『教役職』という用語を、私たちはどのように理解しますか。
「教役職[教職・牧会宣教職]」を意味する英語のミニストリーMinistryという語は、一般的には特定の任務や責任に関わる役割や公的立場を意味します。さらに深い意味では、集団を指導したり、そのための決定をしたり、またそれに伴う権限が与えられたりする人を指します。
霊の職務とは、キリストの教会における奉仕のための叙任を受けて、権限を与えること、祝福を施(ほどこ)すこと、聖別すること、であります。霊の職務は、聖霊の力において行使されます。
霊の職務は、父なる神によってイエス・キリストが遣わされたことがその起源です。イエス・キリストは、神から遣わされたお方として、人類を贖うための権限を与えられ、祝福を受けられ、聖別を受けられました。使徒は、そのイエス・キリストから遣わされている人たちです。
霊の職務は、イエス・キリスト及びイエス・キリストから遣わされている使徒たちと、常につながっています。ですから教役者と使徒は、一つです。使徒職が活動しているところには必ず、霊の職務も存在します。
『使徒職』とは基本的に、イエスの使徒の職務全般を指します。司祭職と執事は、使徒の委託によって働き、牧会、宣教、サクラメントの施(ほどこ)しに伴う諸々の義務を行います。
414 旧約聖書の中で、霊の職務について触れているところはありますか。
すでに旧約聖書の中でも、王、祭司、預言者の働きにおいて、霊の職務に関する記述が見られます。王は統治し、祭司は神の祝福を仲介し、預言者は神の御旨を宣べ伝えました。こうした王や祭司や預言者の職務は、霊の職務です。
旧約時代の職務において制定されたものは、イエス・キリストに反映されています。イエス・キリストは王、祭司、預言者を兼ねておられます。
415 霊の職務にとって「権限を与える」とはどういうことですか。
霊の職務は、イエス・キリストから遣わされている使徒によって与えられます。そのため霊の職務を受ける者は、使徒の権限の一部を受けることになります。霊の職務を受ける者は、使徒から委託されるこの権限を活用する必要があります。権限を活用することによって、使徒の名において行動し、職務の範囲内で使徒を代行します。つまり、使徒は教役者を遣わして、遣わされた者は、自分を遣わした者に説明責任を持ち、遣わした人の決定に従います。
権限による行為の例:
使徒が罪の赦しを宣言する時は、イエス・キリストから与えられた権限に基づいて行っています(これについては、問424→を参照)。このような理由から、使徒は次のような言葉をもって、罪の赦しを宣言します。「私はあなたがたに喜ばしいおとずれを宣言します。生ける神の御子イエス・キリストの御名により、あなたがたの罪は赦されました。」
司祭職が罪の赦しを宣言する時は、使徒に代わってこれを行います。そのために司祭職が罪の赦しを宣言する時は、次のように述べます。「私を遣わした使徒の委託によって、あなたがたに喜ばしいおとずれを宣言します。生ける神の御子イエス・キリストの御名により、あなたがたの罪は赦されました。」
416 霊の職務にとって、「祝福を与える」とはどういうことですか。
叙任を通じて、教役者の職を受ける者に与えられる賜物が鼓舞されたり、強められたり、増し加えられたり、主への奉仕に捧げられたりします。それに加えて、祝福を受けることによってさらに力が増し加えられます。
417 霊の職務にとって、「聖別する」とはどういうことですか。
教役者は、その職務に叙任されることによって、神の持つ聖なるものの一部に与(あずか)ります ― 教役者の職務は聖なるものですが、教役者の職務を担う者は罪深い人のままです。教役者は聖霊の力によって、聖なる行為を行い、神と会衆に奉仕することができます。
418 イエス・キリストの教会において「職務を執(と)り行う」とは、どういうことですか。
バプテスマを受けた信徒は、皆一人ひとりが隣人を積極的に愛し、自らの信仰を告白することによって、主に奉仕することが必要です(ヨハ12:26参照)。
信徒の利益や福音の宣教のために、特定の指示や活動が、イエス・キリストの教会の信徒に付託された時、これを私たちは「職務」と捉(とら)えます。この職務は、バプテスマを受けた人が言葉において行動においてイエス・キリストを主であると告白するすべての場所で執り行われます。
419 イエス・キリストの教会における職務と、霊の職務とは、何が違いますか。
イエス・キリストの教会における職務は、叙任を受けずに行えるという点で、霊の職務と区別されます。
420 新使徒教会において、叙任を受けずに行われる職務もありますか。
はい、新使徒教会では、叙任を受けずに行うことのできる職務もあります。その一部として、子供や青少年を対象とした宗教教育や礼拝中の音楽演奏といった教会の職務があります。
421 どの教役者がイエス・キリストによって制定されましたか。
イエス・キリストが御自身の教会のためにお与えになった教役者は一つだけです。それは使徒です。イエスは使徒職に権限を与え、祝福し、聖別し、聖霊を与えられました。「『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハ20:21-23)。イエスはサクラメントの執行を、使徒に委ねられました。こうすることによって、人類もイエスによる犠牲の業について知ることできるのです(マタ29:19-20参照)。
使徒が「サクラメントを施(ほどこ)す」権限とは、サクラメントの施与(せよ)をイエス・キリストから委ねられたということです。すべてのサクラメントを使徒が直接執(と)り行うことはありませんが、それでもサクラメントは使徒職との関係において存在しています(問424→も参照)。
使徒職の活動が始まったのは、ペンテコステの時です。しかし、その職務そのものは、すでにイエス・キリストによって、あらかじめ御自分の使徒たちに与えられておりました。
「そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。」 マコ 3: 14-16
「使徒」とは「大使」を意味し、ギリシア語のアポストロスが語源です。使徒はイエスの大使です。イエス・キリストは、御自分が遣わされたことと使徒が遣わされたこととを、直接関連づけられました。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(ヨハ20:21)。
424 イエス・キリストは使徒たちに、どのような任務を与えられましたか。
使徒がイエス・キリストによって遣わされたのは、イエスによる犠牲の業とそれによってもたらされた救いに、人類も与(あずか)れるようにするためです。
イエスは、御自分が復活された後、罪の赦しの宣言を行う権限を、使徒に与えられました。イエスから委任を受けたことにより、サクラメントを施し、福音を宣べ伝え、信徒をイエスの再臨に備えさせることも、使徒の職務となりました。
使徒はイエス・キリストの大使です。イエス・キリストの御名によって活動します。イエスは、御自分の務めから生じる職務、すなわち王、祭司、預言者としての職務を遂行するための権限を、使徒に与えられました。使徒はキリストの支配権を行使し、天からの祝福を分け与え、キリストの福音を宣べ伝えます。
使徒職に与えられた権限は、すべてイエス・キリストからもたらされます。使徒職は、イエス・キリストに完全に依存した関係において存在します。
426 新約聖書では、使徒職がどのようなものである、と述べていますか。
新約聖書では使徒職を「新しい契約に仕える職務」「霊に仕える務め」「義の職務」「和解の職務」「言葉による職務」としています。
この表現はコリントの信徒への手紙二3章6節によるものであり、旧約との違いを表しています。旧約はモーセの律法が有効とされていた時代であり、この律法はイスラエルの人々にしか効力がありませんでした。新約は神の恵みである福音を伝えるものです。福音は使徒職を担うすべての人たちが宣べ伝えます。さらに新約の職務は、すべての国民の中で活動します。
「霊に仕える務め」(二コリ3:8)とは、御霊を授ける職務のことです。聖霊という賜物を施(ほどこ)すことにより、洗礼を受けた者は、神の子としての身分を得、初穂となる条件を得ます。
『初穂』というたとえは、ヨハネの黙示録14章4節に書かれており、イエス・キリストがこの世に再びおいでになった時に御許に引き上げる者たちのことを表しています。この者たちについては「花嫁の会衆」とも言います(問562→以降参照)。
使徒職は、すべての人が罪人であり神の恵みを必要としている、と教えています。イエス・キリストを信じ、キリストの犠牲を受け入れることによって、神の御前に有効とされる正義を得ることができます。ですから使徒職は人を義とする務めなのです(二コリ3:9)。
使徒職には、「和解の言葉」(二コリ5:18-19)を宣言する職務が与えられているため、信徒に悔い改めを勧(すす)め、罪の赦しと聖餐の執行を通じてキリストの犠牲を信徒が共有できるようにします。この「和解」には、神と人、人と人とが穏やかな関係に回復するという、究極の目標があります。
ヨハネによる福音書1章1-14節には、神の御子が「言」(ロゴス)である、と書かれています。
使徒職が「言葉」を共有するのは、教えるという委託を使徒職自身も主(ロゴス)から受けているからです。「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」という使徒言行録6章4節の言葉も、このような意味で理解すべきです。
ロゴス:問101→を参照
432 使徒を指すものとして、ほかにどのような表現がありますか。
使徒を指す表現としては、ほかに次のようなものがあります:
- 「キリストの使者」― 聖書にこう書かれています。「ですから、神がわたしたちを通じて勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(二コリ5:20)。これはイエス・キリストが御自分の教会で、使徒たちを通じて働いておられるということです。
- 「神の秘められた計画をゆだねられた管理者」:「管理者」(一コリ4:1)は「家」に責任を持ちます。家とは会衆です。会衆において使徒は、福音に適した発言をし、イエス・キリストの御心によってサクラメントが施(ほどこ)されるように配慮します。使徒は教役者を叙任し、会衆に秩序を構築します。
使徒にはもう一つ、信徒をキリストの再臨に備えさせる職務であるという特徴があります(二コリ11:2)。
使徒を遣わしたのは、イエス・キリスト御自身です。弟子たちの中から十二人をお選びになり、彼らを使徒に任命されました(マコ3:13-19参照)。この使徒たちについて、イエスは次のように言われました:
- 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである」(マタ10:40)。
- 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、(…)」(マタ29:19-20)。
ペトロと呼ばれたシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルファイの子のヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダです(マタ10:2-4参照)。イスカリオテのユダが裏切った後も、彼らは「十二」使徒と呼ばれました。
はい。新約聖書には、十二使徒に加えて、マティア(使徒1:15-26参照)、バルナバ(使徒13:1-4;14:4, 14参照)、パウロ(一コリ9:1-16; 二コリ11章)、主の兄弟であったヤコブ(ガラ1:19; 2:9参照)の名があります。ほかにも使徒として、シルワノとテモテ(一テサ1:1; 2:7)、アンドロニコとユニアス(ロマ16:7参照)の名があります。
ここで注目すべきことは、マティアの場合だけ、イエスの行動を直接見てきた人物が必要であるとして、使徒に召されていることです(使徒1:21-22)。
437 使徒たちの中で、特別な立場を与えられた人はおりましたか。
はい。イエス・キリストは、シモン・ペトロに対して、ほかの使徒たちがいる前で、特別な権限を与えられました。つまりシモンには、「岩」(ペトロ)として、鍵としての権限が与えられました。さらに主は、御自分の「羊」や「小羊」―言い換えれば御自分の教会―の世話を彼に委ねられました(ヨハ21:15-17参照)。主は彼に直接こうも言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31-32)。
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府(よみ)の力もこれに対抗できない。」 マタ16: 18
438 主が天に昇られた後、使徒ペトロに与えられたこの特別な立場は、どのように具体化されましたか。
主が昇天された後、使徒ペトロに与えられた特別な立場は、次のような事実によって具体化されました。
- イスカリオテのユダに代わる人選は、使徒たちの中で、ペトロの主導で行われました(使徒1:15-26参照)。
- ペンテコステの時に説教を行ったのはペトロでした(使徒2:14参照)。
- キリストによる救いが異邦人のためにもあることを、主は彼に明らかにされました(使徒10章参照)。
439 新約聖書の中で、使徒の活動を最も詳しく記録しているのはどこですか。
使徒たちの活動が最も詳しく記録されているのは、ルカが書いた使徒言行録です。例えば11章1-19節及び15章1-29節では、使徒たちの主導のもとで行われた会議について書かれています。この会議では特に、異邦人もキリスト教会の一員になれることが決議されました。さらに、キリスト教会にとって非常に意義深い事項も、使徒たちによって決議されました。
440 新約聖書によれば、聖霊の賜物を施(ほどこ)したのは誰ですか。
使徒言行録9章15-19節によれば、聖霊の施しは使徒職が行わねばならない、とされています。フィリピはサマリアに伝道し、信徒に洗礼を授けました。このことを使徒たちが聞くと、彼らはペトロとヨハネをサマリアに派遣しました。ペトロとヨハネは「聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」
聖霊の施しについては、使徒言行録19章6節に明記されています。「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降[[…た]。」