11 キリスト教史概説
1862年10月10日、カトリック使徒教会ケーニヒスベルク教会を統括していた牧師のルドルフ・ロソハツキー(1815-1894)が、預言者のガイヤーによって使徒職の召命を受けました。カトリック使徒教会の使徒たちは、この召命を認めませんでした。
しかし、預言者ガイヤーとカトリック使徒教会ハンブルク教会の指導者だったフリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヴァルツ(1815-1895)は、この召命が聖霊の働きによることを確信していました。
そこで、ハンブルク教会は1863年、この使徒の召命を認めました。その結果、ハンブルク教会はカトリック使徒教会から破門されました。
これにより、新使徒教会の設立は、1863年1月にさかのぼります。
程なくして、ロソハツキーは使徒職を辞したものの、ガイヤー、シュヴァルツ、それにハンブルク教会は、彼の召命が神によるものであることを固く確信していました。
牧師であったカール・ヴィルヘルム・ルイ・プロイス(1827-1878)とフリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヴァルツが使徒の召命を受けました。使徒プロイスはドイツ北部で活動し、使徒シァヴァルツはオランダを活動地域としました。
まもなく、他の使徒も召されました。新しく設立した団体名をAllgemeine Christliche apostolische Mission (公同使徒宣教会)としました。
1872年、ヴェストファーレンとラインラントを担当する使徒として、フリードリヒ・ヴィルヘルム・メンコフが召されました。
1884年、メンコフはドイツで最初の教会定期刊行物 『Der Herold』[デア・ヘロルト]を発行しました。使徒シュヴァルツは、メンコフの影響を受けて、まず自分の活動地域から、カトリック使徒教会で採用されていた典礼用の衣装やその他の用具を廃止しました。1885年になると、他のすべての教会でも廃止されました。
『典礼』という語は、礼拝の式次第を表します。
609 「新使徒教会」という名称は、どのようにして生まれましたか。
カトリック使徒教会との区別化を図るため、1863年以後に設立した会衆はすぐに「新使徒信徒団」という呼称を使い始め、1907年にこの名称を公式に採用しました。そして1930年から「新使徒教会」の呼称を使い始めていました。
19世紀の終わりになると、使徒職の権限が拡大し、教会の中心的職務になり始めました。それと同時に、預言者の存在意義が薄れ始めました。そして1920年代終わりまでに、教会に預言者の職を担(にな)う人物はいなくなりました。
1881年、ドイツ・ブラウンシュヴァイク出身のフリードリヒ・クレプス(1832-1905)が使徒に召(め)されました。使徒シュヴァルツと使徒メンコフが死去した後、クレプスは教会の指導的役割を担(にな)いました。クレプスにとって、使徒たちの一致は大きな関心事でした。1897年には主使徒職が誕生していました。現在の主使徒職に当たる職務に初めて就任したのは、フリードリヒ・クレプスでした。
- ヘルマン・ニーハウス(1848-1932、在任期間1905-1930)
- ヨハン・ゴットフリート・ビショッフ(1871-1960、在任期間1930-1960)
- ヴァルター・シュミット(1891-1981、在任期間1960-1975)
- エルンスト・シュトレックアイゼン(1905-1978、在任期間1975-1978)
- ハンス・ウルヴィラー(1925-1994、在任期間1978-1988)
- リヒアルト・フェーア((1939-2013、在任期間1988-2005)
- ヴィルヘルム・レーバー(1947-、在任期間2005-2013)
- ジャン=ルーク・シュナイダー((1959-、2013より現職)