2023年10月3日 0:00:00 JST

新使徒教会は、疑問に対する答えを見つけるために聖書を研究するという、明確に定式化された行程表に従いました。各停留所ではどのような答えが得られ、終点に向かうためにさらに何が必要だったのでしょうか。教役職〔教職〕に就く女性の問題に関わる考え方が決定するまでの経過をまとめます。

 

 

霊の職務を担えるのは誰でしょうか。その答えは当然、聖書に書いてあります。ただ一つだけ問題があります。というのは、相反することも含めて、様々なことが書かれているのです。従って、この霊の職務を担う人物という問に関して、教会が聖句を根拠にして教えを伝えることは不可能なのです。

 

そこで「聖書は、私たちが『どのような』決断を下すべきかを定めてはいないが、私たちが『どのように』決断を下すべきかを教えている。」という指針に沿って調査を進めました。そしてこれこそが、霊の職務を担うべき人物に関する問題の、一番目の要点だったのです。

 

 

「女性は職務の叙任を受けるべきでない、とは神様の御旨なのか。」―聖書を調べてみると、その答えは「いいえ」であり、むしろその逆であることが分かりました。創造の御業に関する記述に、神様の御旨が明らかにされています。それによると、男女は神様の形に等しく創造されるため、両性等しく尊厳が与えられ、両性等しく被造物への義務が課されています。

 

ところが天地創造に関する記述は二カ所あって、この二つが微妙に異なります。原初史に関する記述で男が女を治めるとされている箇所があるものの、これが神様の戒めではありません。これは堕罪の結果を述べたものであって、創造主の御旨を表しているわけではないのです。

 

 

「イエス様が男性だけを使徒職にお選びになったことによって、必然的に女性の教役職叙任が不可能と言えるのか。」―これも答えは「いいえ」です。聖書が明らかにしているように、イエス様には、性による役割の区別というお考えがありませんでした。十二人の男性をお選びになったのは、イスラエルの十二部族長にちなんだものでした。そうすることによって、約束された新しい神の民が、ご自分によって立てられたことを、お示しになったのです。

 

女性の役割に関するイエス・キリストの考え方は、当時のはるかに先取りしておられました。イエス様にとって女性は、復活の証人はさることながら、学徒、弟子、使者、宣教者でした。さらに「福音書の記述にある限り、『女性が使徒や他の教役者として仕えるのはふさわしくない』とイエス様が表明なさったことはない」との考察もあります。

 

イエス様の活動だけを基準とするなら、ユダヤ人以外の人々が教役者に叙任されることは、あり得ないことになります。キリストはユダヤ人しかお選びにならなかったからです。イエス様と行動を共にした人たちもユダヤ人しかいませんでした。そうであれば、パウロでさえ使徒と見なされなかったことはなかったでしょう。

 

 

「女性を教役者に叙任してはならないとする文言が新約聖書の使徒書簡にあるのか。」―これも「いいえ」です。コリントの信徒への手紙一テモテへの手紙一に「女は黙っているべき」との記述がありますが、その内容はコリントの信徒への手紙一の別の箇所とローマの信徒への手紙と矛盾しますこれに対して、パウロ書簡や使徒言行録には、女性がいくつかの教会で実際に果たした役割を証言する記述まであります。

 

こうした聖書研究から、最終的に次のような結論に至りました。「新約聖書における一部の書簡には、礼拝や集会への女性の積極的な参加に否定的な記述が見られるが、それらは女性を教役職から排除する十分な根拠にならない。従って、教会の制度を規定する権限及び使命を担う使徒団の責任で決定する。」

 

 

決定に先立ち

教会の制度を規定する権限及び使命は、聖書に基づいています。マタイによる福音書18章18節によれば、イエス様は使徒たちに、つなぐ権限と解く権限、つまり、何をつないで何をつながないかを宣言するための権限を授けられました。また、コリントの信徒への手紙一4章1節によれば、使徒たちは「神の秘義の管理者」であり、使徒たちの任務は新たな知見を明らかにすることです。すでに初期の使徒たちはこの権限と使命を用いて、貧しい人々を助ける者(執事)を選んだり、ユダヤ人以外の人々もキリスト教徒になれるという初めての教義の大変更を導入したりしていたのです。

 

ここで私たち自身の過去を振り返ってみる必要があります。新使徒教会の歴史において、その半分の間、教役職に就いていたのは、男性だけでした。しかし、それ以前は女性も執事として活動していました。この伝統はカトリック使徒教会から受け継がれ、実質的に女性を祭壇で執り行われるサクラメントへと導きましたが、その後、原因不明の理由で女性執事は姿を消しました

 

現段階ではっきりしていることがあります。それは、女性執事が選出されていたにしても、その後に男性だけが叙任されることになったにしても、使徒団による教義的に正当な判断が一切なかった、ということです。いずれにしても、女性の叙任については、まだ準備すべきことがあった、ということです。次回のこのシリーズでは、その準備がどう展開したかを検証します。

 

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1176091→

nac.today: New Apostolic Church International

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