12 礼拝、祝福、牧会
堅信礼(もとはラテン語confirmatioコンフォルマティオ「補強」「肯定」の意味)とは、幼児期に洗礼と御霊の証印を受けた青年新使徒教会員が、それまで両親や保護者が代わって担っていた義務を、自分自身で果たすことを祝福する行為です。
堅信礼志願者は、信仰に忠実であることを、神に、そして公(おおやけ)の場で、誓約します。つまり会衆の前で、新使徒教会の信仰を公に広めるということです。
堅信礼を受けたキリスト教徒は、霊的に成人に達しているため、神の御前において、自分の信仰について全面的に責任を負います。
堅信礼を受けるための条件は、一つ目として、洗礼と御霊の証印を受けていることです。二つ目として、礼拝や堅信礼教育に定期的に出席することです。
堅信礼志願者は、新使徒教会の信仰と新使徒信条の根本原理を知り、福音に適(かな)う生活を送ろうとしなければいけません。
堅信礼は礼拝の中で行われます。始めに志願者は、祭壇の前に集まります。そして、人生を新使徒教会のキリスト教徒として、神に忠実に歩もうする意志があるかどうかを問われるので、「はい」と告白の返事をします。神の御前と会衆の前でこの告白をした後、堅信の宣誓をします。この宣誓の中で、主なるイエス・キリストを受け入れ、主に適(かな)う生活をすることを約束します。
この宣誓の後、司式者は祈りを捧げ、志願者は祝福を受けます。祝福は按手(あんしゅ)によって施与されます。
祝福は、堅信の宣誓を守り、言動を通じてイエス・キリストを公に言い広めようとする志願者の努力を後押しします。
堅信の宣誓は次のような文言です。「私は悪魔とそれにつける一切の業や流儀を放棄し、三位一体の神であられる父、御子、御霊なるあなたに私自身を捧げ、信仰と服従と固い決意とをもって、最後まであなたに忠実であることを誓います。アーメン。」
この宣誓文は、堅信礼志願者があらゆる悪しきものや神によらないものに近づかず、ひたすら福音の道を歩むことを決意するものであります。堅信礼志願者は、三位一体の神を信じることを告白し、神を信じ神に従って生活する意志を表明します。
受洗認証を受ける者は、新使徒信条を公(おおやけ)に告白します。祈りが捧げられた後、三位一体なる神の御名によって、新使徒教会において、受洗者として認証を受けます。受洗認証を受けた教会員は、定期的に聖餐に与る資格を得ます。教会で行われる他の祝福にも与ることができます。
婚約の祝福とは、男女が婚約する時に施与される祝福です。婚約は、真摯な気持ちで結婚の約束をすることです。この祝福行為においては、婚約する男女が、神に喜ばれる方法で結婚の準備をする意志があることを、神の御前及び会衆の面前で、表明します。その表明に基づいて二人は祝福を受けます。
結婚の祝福とは、一般の結婚式が行われた後に施与される祝福です。
夫婦は、いかなる環境にあっても忠実な気持ちで支え合い、愛をもって人生を共に歩むつもりがあるかどうかを、尋ねられます。夫婦は二人で「はい」という返事をすることで、神と会衆の前で、このことを誓約します。結婚の祝福に与るのは、二人がこの誓約を守り、調和のとれた生活を送り、困難な状況を神の支援によって克服するためのものです。
夫婦の求めに応じ、次の結婚記念日に祝福を施します:
- 銀婚(25周年)
- ルビー婚(40周年)
- 金婚(50周年)
- ダイアモンド婚(60周年)
- ブルースターサファイア婚(65周年)
- プラチナ婚(70周年)
- ダイアモンド婚(75周年)
これにより、婚姻のきずなを改めて神が祝福し、夫婦は引き続き神の配慮と導きに委ねます。
教会の献堂式は、その教会で最初に行われる礼拝の時に、執り行われます。献堂の祈りを通じて、三位一体の神の御名によって、聖霊が現される場所 ― すなわち、神の御言葉が宣べ伝えられ、サクラメントが施与される場所 ― として、神の家が寄進されます。
寄進された教会は、神を崇めるための場所であり、救いを求める者たちが庇護を受ける場所です。この教会において、礼拝を通じて、天からの恵みや慰め、信仰の強め、魂の平安が提供されるのです。
674 教会の建物を世俗化する際には、どのようなことが行われますか。
寄進された教会が礼拝を行う場所として使われなくなる時は、教会の建物を世俗化します。そこで行われる最後の礼拝で、献堂式の時に与えられた、神による働きが行われる聖なる場所としての目的が、その教会建造物から解かれます。世俗化された後、その建物は再び一般の建物となり、別の目的で利用されることになります。
675 サクラメントが施与されたり、祝福が行われたりするのはいつですか。
礼拝でサクラメントが施与されるのは、罪の赦しが行われて、祈りが捧げられた後です。
祝福は普通、聖餐の後に行われます。堅信礼は、洗礼や御霊の証印と直接に結びついているため、聖餐の前に行われます。受洗認証は、聖餐に定期的に与る資格を与えるものであるため、聖餐の前に行われます。
叙任 ― 霊の職務を与えること ― は、会衆主任または教区主任の任命、復職や引退と同様に、サクラメントが施与された後に行われます。ですから聖餐の後に行われます。
叙任: 問462→以降を参照
叙任はすべて使徒が行います。使徒に名前を呼ばれた後、叙任を受ける者は、職務を受け入れる用意があるかどうかを問われます。神に忠実に仕え、イエス・キリストの福音を擁護(ようご)し、新使徒信条に従って職務を履行(りこう)する意志があるかどうかも問われます。さらに、イエス・キリストの御心によって、信徒を愛し、信仰に忠実に、その職務を履行する意志があるかどうかを問われます。
任命を受ける者は、自分に職務をお召(め)しになった神の御前で、そして会衆の前で「はい」と返事をして、この問いに対して誓約をします。そして、膝をついて、使徒の按手と祈りを通じて、職務を受けます。
礼拝中の音楽には、神を褒(ほ)め、その栄光を称(たた)えるという目的があります(詩150編)。そのため音楽には奉仕の役割があります。
音楽は魂を大きく動かし、会衆を御言葉の宣教に備えさせ、御言葉をわかりやすくします。賛美歌の斉唱 ― 会衆によるものであれ聖歌隊によるものであれ ― や楽器の演奏は、勇気、強さ、確信を表現したり与えたりします。悲しみや困難にある時は、慰めをもたらします。
礼拝前の音楽演奏や黙祷は、礼拝出席者の思いを一つにし、御言葉が伝わるための道を備えます。会衆による賛美歌斉唱を通じて、出席者全員が、礼拝に積極的に参加することになります。
会衆は聖餐の前に、賛美歌を通じて悔い改めの気持ちを証しします。聖餐が執り行われている時に斉唱する賛美歌を通じて、会衆は神への愛と感謝を表します。
礼拝の閉式に際し、出席者全員が、三位一体の神による祝福に与ります。閉式の祝祷は、三位一体の神による開会の式文と共に、礼拝の枠組みを形成しています。祝祷は、礼拝中に生じるあらゆるものが三位一体の神からもたらされることを明確にします。
三位一体: 問490→の解説を参照
閉会の祝祷は、コリントの信徒への手紙二13章13節に基づいています「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」
信徒は、互いに親しく交わることによって、神を崇めたいと考えます。礼拝の説教を通じて、キリストの再臨が間近であるという信仰と願望が強まります。毎回の礼拝で、キリスト再臨に備えるのです。さらに、罪を赦していただき、聖餐に与らせていただくことを心待ちにします。それだけでなく、礼拝で祝福にも与るのです。
勝手な都合で礼拝をないがしろにすると、神の御言葉や聖餐に含まれる祝福や恵みや力を受けられなくなります。
特段の理由も無いのに頻繁に礼拝を欠席すると、信仰や御言葉を聞きたいという気持ちが薄れてきます。
礼拝や恵みを故意に拒否したり軽んじたりすることは、罪です。
出産前の祝福とは、はじめて見える形による神の行為であり、まだ生まれていない人に対して行われます。この祝福は、まだ生まれていない魂に益(えき)をもたらし、将来母親となるべき人に対して行われます。出産前の祝福を通じて、神は、妊娠中に子供の信仰生活を促進涵養する母親の努力を支援されます。
出産前の祝福によって、妊娠中及び出産に際して、神の助けを受けられます。しかし祝福は、妊娠中に問題が生じなくなるとか、必ず健康な子供が生まれるといったことを約束するものではありません。
教会葬とは、亡くなった人の遺族に慰めと力を与えるための礼拝です。この慰めとは、キリストが再びおいでになり、それに伴って死んだ者が復活し、その者たちと将来一つに結ばれるという希望のことです(一テサ4:13-18参照)。
葬儀礼拝で宣べ伝えられる御言葉は、陰府にいる不滅の魂にも宣べ伝わっております。このことはひとえに神の恵みによるものです。
教会葬の出席者は、同情を表し、安心感を与えるため、遺族に寄り添います。そして故人に最後の敬意を表します。
葬儀礼拝では、故人の生前の業績について、然(しか)るべき敬意が表されます。故人の魂と霊は、復活して永遠の生命を得るまで、贖い主イエス・キリストが守って下さることを確信しながら、キリストの愛に委ねられます。魂が去った故人の体は、地上に返ります。
「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」創3:19