2023年6月12日 0:00:00 JST

初期キリスト教会における女性の立場はどうだったのでしょうか。聖書の見解は矛盾に満ちています。これを新使徒教会はどう考えるでしょうか。ここでは、女性の教役者叙任について新約聖書は何を語っているかという問題について、二回目の中間総括を報告します。

 

 

はっきりしているのは、初期キリスト教会では、イエス様の時代→と同じように、女性も重要な役割を担っていた、ということです。彼女たちは指導的立場にありました。この立場は、男性と同様に、後に教役職となります。執事であったフェベ、教師であり信徒の指導者であったプリスカ、預言や御旨を伝えたフィリポの娘たちなど、その例→はたくさんあります。

 

ところが、礼拝における女性の役割となると、聖書の記述に矛盾→が見られるようになります。

 

 

神学的主張の論理にも疑問が残ります。

 

  • 沈黙を命じる際に、エバがこの世に罪を持ち込んだことを根拠としています。
  • しかしローマの信徒への手紙5章12~21節では、アダムによって罪が入り込んだ、とされています。

 

こうした矛盾→から、私たち教会はどのようなことが学べるのでしょうか。

 

 

一つの節が根拠となっているわけではない

どんな場合でも、私たちは個人的に都合の良い聖書の一節を選んではいけません。ジャン=リュック・シュナイダー主使徒は、2022年9月にガンビアのバンジュルで行われた礼拝→で、このことを明らかにしました。聖書のある一節で判断しても意味がありません。聖書の中には、多くの点で、ある事柄に対して必ずその反対の事柄が書かれているのです。主使徒は次のように説明しました。

 

  • 神はイスラエルの民に戦うことを望まれることもあれば、そうでないこともあった。
  • イエス様は弟子たちにユダヤ人のところだけに行くことを望まれたり、異邦人のところにも行くことを望まれたりした。
  • コリントの信徒への手紙一の中でパウロは、主に適う者となるために結婚しないことを薦めていた。しかしテモテへの手紙一では、結婚しないことを勧める人は異端者である、としている。
  • テモテへの手紙一2章には、神様がすべての人を救いたいと願っていると書かれているが、その数節後に、子供のいない女性は救われないと書かれている。つまり、神様はすべての人の救いを望んでおられるが、神様ご自身が子供を持つことをお許しにならない女性は除く、ということなる。

 

以上の例から分かることは、聖書のある一節に基づいて判断してはならない、ということです。そして主使徒は教理要綱を参照しながらこう述べています。「イエス様が聖霊による聖書解釈を使徒たちに委託された、と私たちは信じます」(教理要綱1.2.5.1→)。

 

 

使徒職が教会の秩序を構築する

国際教区使徒会議は、聖書による根拠に基づいて、2021年11月に以下の声明を採択しました。

 

  • 新約聖書の書簡には、女性の教会生活への積極的な関与を明確に否定する記述がある。
  • その一方で、パウロ書簡や使徒言行録には、女性の教会生活や礼拝への積極的な関与があったとする、異なる記述がある。女性たちは宣教者であり、会衆の設立に携わっていた。
  • それ故、聖書の証しは教会における女性の役割について、曖昧である。
  • 新約聖書のいくつかの手紙に見られる、女性による礼拝や会衆への積極的な関わりを認めない個々の記述は、女性を教役職から排除する十分な根拠にはなり得ない。
  • 従って、教える権限と教会秩序構築の義務を担う使徒職が、これを判断する。

 

 

*****

この判断の結果は、イエス様が使徒たちを召された→問題に関する答えに対応するものです。しかし、新使徒教会はこうした教会秩序を、簡単に前進させ構築することができるのでしょうか。次回はこれについて論じます。

 

 

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1169064→

nac.today: New Apostolic Church International

 

 

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